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「ある」ものにフォーカスする

抑うつ症状がひどくなってはや2ヶ月。症状はだいぶ落ち着いてきて、ちょっとずつ働けるようになった。

鬱症状がひどい時は、「ない」ことばかりが頭に浮かび、「ない」ことしか数えていなかった。

例えば、
・仕事がない
・お金がない
・旦那/彼氏がいない
・支えてくれる人がいない
・心身ともに健康ではない
・理解をしてもらえない
・生きている意味がない
・自分らしくない
・これは自分が歩む人生ではなかった
・未来がない…

などなど、「ない」ことは無限に出てきて、ものすごくネガティブになり不安になった。

そして極限の状態にまで追い込まれていて、自分でも命の危険を感じたところで治療に繋がった。

膿という膿を全て出し切り、その原因となった人間関係は全て断ち切ることになったが、おかげでサッパリした。

打ち明けようと思っていた人には、全てを打ち明けた。

小さい時のあの出来事がなかったら違う人生をおくっていたのではないか…本来あった人生に悲嘆や喪失感を感じる日もある。

ただ過去は変えられないので、今からどうするかが重要だと思うようになった。

そこで「ない」ことよりも「ある」ことだけにフォーカスしてみた。

まず、
・命がある(生きている)→大事

・このコロナ禍でも重宝される資格がある(向いてないけど助かってます)

・食欲がある(衰え知らず、ストレスで食べても食べても痩せてしまったので今も一生懸命食べている感じ)

・泣いてもわめいても長電話やLINEに付き合ってくれる友達が複数人いる

・推しのグループがいる(生きてるうちに一度はTXTのライブに行きたい)

・「持っていないもの」がいっぱいある

「ない」ものに比べると圧倒的に少ないかもしれないが、数えやすいしその輝きがぜんぜん違う。

特に最後が真理だなぁと思うのは、いっぱいあるとそれはそれで大変なんだろうなと思うから。

人が持っていて私が持っていないもの(家族とか子供とか家とか)なんていーーーーーっぱいあるが、ちょっとだけど私しか持っていないものを大切にしたいなぁと思うようになった。

以前ある番組でお世話になったTVディレクターさんに近況報告をしたら、「人って生きているだけで本当は素晴らしいんです。」とお返事をくださった。

本当に生きていてよかったなぁと思う。じゃないとこんな体験は出来なかった。

油断するとすぐに過去に足元をすくわれる不安定さはあるものの、毎朝「今日も生きていることに感謝。今日も目一杯自分を愛そう!」と気合を入れて目覚める(なぜ気合が必要かというと、そうでもしないとダメなほど人間としての尊厳を壊されているから)

そして「大好き」「愛してる」という言葉を恥ずかしげもなく使うようになった。両親にもそれを伝えることができたし、愛を伝えるって大切なことで、自分も気分がいい。

フランスに住んでいるときは、「フランス人すげーな!」と遠くから見てたけど、今はポジティブな気持ちを素直に表現することはいいことなんだなぁと改めて思う^_^


少しずつだが元気になってきて、バラエティー番組を見て笑えるまでになった。まだ笑える力が残ってる!そう思えた時、なんだか嬉しかった。


治療につながるアドバイスをくださった知り合いのドクターが、「安心、安全で、地に足のついた、何気ない地味な1日」を繰り返していくことが、トラウマを噴火させないために何より大切なことだと教えてくださり、心がほっとした。

SNSにアップできるようなご馳走や生活でなくてもいい。ただ規則正しい生活を送り、地味な1日を繰り返す。そして一生懸命自分のコアな部分を守り、生き抜いてきた自分に感謝し、自分を愛す。


それでいいんだ。

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