自分を大切にが難しいなら「友達に接するように」
「ご自愛」という言葉をよく見かけるようになったり「自分を大切に」というメッセージがよく発信されていたり。
丁寧に暮らしている人に憧れるのは、きっと「自分と丁寧に向き合っている」ことに魅了されているからではないか。
ところがどうして、いざ自分を大切にとなると難しい。自分をないがしろにしていることばかりに気づいてしまう。
強い力で髪をガシガシ洗っていたり(ちょっと痛い)、眠いのになぜか無理矢理起きつづけていたり、寒いかも? と思っても暖房つけるのをもう少しもう少しって我慢していたり。
ひとつひとつは大したことではないかもしれないし、自分に対して明確な害意があるからこのように振る舞うわけでもない、と思う。
でも現状が良いとは思っていないし、もっと丁寧にできる余地があるならそうなりたい。
でも「もっと自分を大切に」と意気込むのはなんだか気恥ずかしい。低い自己肯定感を刺激される。
こういう時、僕は友達のことを考える。
人によっては友人、恋人、パートナーであるかもしれない。
「あれ、今自分は自分を雑に扱っていないか?」と気づいた時、心の中で問いかける。
「友達にも同じように接するだろうか?」
大体の場合、出てくる答えは「否」だ。自分のことは丁寧に扱うのがまだ難しくても、友達のことは大事にできる。
だから上の言葉をモットーに、友達に接するように、自分に接する。
この指針を思い出すと、髪に触る手つきを優しくすることを思い出せる。布団に入れる湯たんぽを温めに行ける。ほんの少しだとしても早く寝られる。
回り道だろうか? そうかもしれない。
けれども「自分にちょっとだけ丁寧に接したい」という目標が達成できていれば、経過はどうでもいいのではないかと思う。
直也・亜麻
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