見出し画像

蜃気楼的世界観2

 風に混ざる葉擦れの音。目を開けると、満天の星空が私の上に広がっていた。

 数えきれないほど微細な濃淡で構成された空の紫と、大地に広がる花畑の白がよく映える。

「……不思議なところ」

 目が覚めたばかりのような、判然としない意識でそう思う。遠くで流れ星が白い軌跡を描き、落ちていった。

 ふと、風の中に声が混ざる。


――僕の声が聞こえている?


 誰。

 柔らかくて温かい、男の子の声だ。視界の端で白が強く光る。見ると、空間から次々に生まれ出る白い光が寄り集まり、人の形に見える姿を作っていた。


――僕はクーガ。君を迎えに来たんだ。


 光はさっきと同じ声で話した。クーガ。それが光の名前のようだ。


――ねえ、君は大切なことを忘れている。


 クーガの唐突な言葉がまっすぐ耳に届き、私を動揺させた。

 私が、何かを忘れている?

 そんな覚えはない。私が自覚していないことを、なぜクーガは確信を持った口調で言いきれるのか。


――とても大切なことなんだ。君が知っていたはずのこと、これからもずっと知っておく必要のあること。

取り戻すための旅を始めれば、君は思い出せるだろう。


 声は私の問いには答えてくれない。しかし疑問を口に出そうとする前に、私は「私が忘れた何か」を受け容れる気持ちになりはじめていた。

 人は忘れる。些細なことも、大事な思い出も。それなら、何を忘れたか思い当たらないことこそが、「私が何かを忘れている」ことの証左なのではないか。


――来て、僕に君を導かせてくれないかい?


 大事なことを忘れている私は、何かを失ったままここに立っている気がする。心に隙間が空いたまま、的外れな方向を彷徨ってきたような。

 もし本当にこの空虚を埋めることができるのなら、取り戻したい。忘れたものが何だったのかを思い出したい。

 そうすれば、何かが変わっていた気がするから。

 クーガが微笑む気配がした。


――君ならそう言ってくれると思っていたよ。鈴音。


 クーガと名乗った白い人影が背を向けて歩きだす。ついてこい、と言われている気がする。私は後を追おうとした。

 花畑の中で足を踏み出すと、意図した動作はひどくゆっくり起きる。クーガは普通の速度で歩いているのに、一方の私はひどく遅い。足を出して、反対の腕を振る。もがくように進んでいく。まるで夢の中で走ろうとしている時のように。

 白い光が増していく。光の中にクーガの姿が見えなくなる。光はもがく私をも呑み込んで、この景色すべてに広がっていくようだった。

 そして、何も見えなくなった。

読んでくださりありがとうございます。良い記事だな、役に立ったなと思ったら、ぜひサポートしていただけると喜びます。 いただいたサポートは書き続けていくための軍資金等として大切に使わせていただきます。