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なぜ、人は信じてしまうのか?【横道誠氏著『あなたも狂信する』】

横道誠氏著『あなたも狂信する』(太田出版)を読みました。

……実は実際に読み終えたのは、2ヶ月くらい前なのですが。

感想を書きたい、書きたいと思いつつも、どうしてもうまい言葉が見つからず。私にしては長く、2ヶ月もあれこれ考えていたのでした。

ようやく言葉がまとまる気配が見えてきたので、キーボードに指を乗せました。

タイトルが秀逸すぎる

私がこの本の感想をなかなか言葉として書き残すことができなかった理由のひとつは、このタイトルにあります。

あまりにも秀逸すぎて。何かを付け足すことも、これ以上削ることもできない。

けれども確かに最後の一文まで読み終えたあとの感想は、「ああ、私も何かを狂信してしまうかもしれない」なのでした。

タイトルに惹かれて手に取った本を開き、読書体験という数時間、あるいは数日かかる旅を終えて、思考はまたタイトルに戻ってくる。完成された言葉たち。

あまりに完璧すぎて、私は自分の感想をさしはさむ余地を見出せず、だからこそ記事にして誰かにこの本を紹介できるだけの言葉を溜めるのに時間がかかったのでしょう。

当事者研究の重要さ

『あなたも狂信する』は、宗教1世と宗教2世たちの「共事者研究」をまとめた本です。

また、著者の横道氏は発達障害・解離・宗教2世問題等、たくさんの「当事者」として「当事者研究」に取り組んでおられる方です。

「研究」というと、研究者は研究対象と距離を置くことの方が重視されがちな面もあるのではないでしょうか。

きっと客観的な視点を持ち続けるためだとか、いろいろ理由があるのでしょう。

では、何かを体験した当事者が行う「当事者研究」とは、客観性を欠いたひとりよがりなものなのか?

決してそうではないと思います。

客観的な視点とは、練習で獲得することができるものです。

自分が経た体験と、獲得した客観的視点をうまく組み合わせれば、自分の体験は単なる「個人の体験記」ではなく、誰かの貴重な経験を含んだ「独自の研究」になりえます。

当事者の強みはもちろん「それを経験している」ということです。

研究者が当事者のもとへ行き、信頼関係を築き、いくら詳細に話を聞いて文章にまとめても、そこには経験が人から人へ伝達される間に必ず出てしまう「取りこぼし」が発生するのではないでしょうか。

しかし「当事者研究」は、その取りこぼしを極限まで減らすことができる手法だと思います。
「当事者」と「研究者」が同じ個人であるからです。

当事者の中に獲得された客観的視点は、「研究者」の目で自らの体験を観察し、分析し、言語化することが可能になります。

客観視するというのは、感情をある程度排して事態を観察することだと思います。
ともすれば心の傷に触れること、動揺せずにはいられない過去の出来事を、あえて冷静に見つめて研究し、世界に向けて発表する。あるいはその手伝いをする。

それは「取りこぼし」の少ない貴重な情報を世界に残す偉業であると同時に、当事者のトラウマケアにも役立つ営みではないでしょうか。

なぜ人は信じたくなってしまうのか?

タイトルの通り、本のテーマは「狂信」です。

ここでは宗教が主軸ですが、世の中には宗教だけではなく、有害な「信じること」がたくさんありますよね。

いろいろな手口の詐欺は、まずターゲットの信頼を得るところから始まります。
きちんとしらフォーマットの契約書の下の方に、小さく書いてある注意い書きに、ひっそりとこちらが損をするようなことが書いてあるかもしれません。
そしてもちろん宗教。大学進学を機に宗教勧誘に遭いやすくなる、とはよく聞く話です。

信頼を裏切られるような話、こちらの信頼感を利用して「何か」を搾取する話は、枚挙にいとまがありません。
それなのに多くの人は信じています――自分はなんとなく大丈夫な気がする、と。不思議ですよね。
たとえ世界が滅びても、自分だけは大丈夫な気がする、という心理と似ているような気もします。

『あなたも狂信する』を読み進めるうちに、その確信は揺らぎ始めます。
共事者たちによって語られるエピソード、横道氏による解説や実体験に、少しずつ耳が痛くなっていくからです。

彼らは宗教に取り込まれた「狂信者」や「自分とは無関係な被害者」なのではなく、自分も心の奥底に持っている「理想」や「願い」の答えを、教義の中に見いだした同じ人間なのだということに、気づかざるをえなくなります。

それは私も考えたことのある疑問であり、苛立ちであり、願いであり、理想でした。

外の世界にあふれる救世のメッセージが、それらの感情とうまく共鳴してすくいあげるようにできているのでしょう。

普段は大丈夫と思えていても、人生でとびきり嫌なことがあった夜は?
ちょっと心が疲れている時は?

ふと自分の外側にある「何か」を信じたくなってしまう瞬間は、普段は気づかないだけで常に存在しているものなのでしょう。
そこに「自分は絶対陥らない」なんてことは、実は言いきれないのです。

近道は、いちばん面倒な手段で

では手放しの狂信に陥らないために、あるいは狂信の中にいると気づいたあと、そこから抜け出すために。できることはないのか。

本のクライマックスは、自分ひとりさえいれば始められる対抗手段というメッセージに向かっていきます。

それはともすれば、面倒に思われることかもしれません。

でもシンプルで、習慣づければ簡単で、他の何よりも力強い手段です。


「狂信」というキーワードから始まる諸問題は、なにも宗教だけのものではありませんでした。



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