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名前を覚えられない僕たち【僕とパーツの人生紀行】

僕たちは人の顔と名前を覚えるのが苦手だ。

これほど相手に申し訳ないことはない、というほど重大な問題だと思っているので、これまで無為に「頑張る」ことで克服しようとしてきた。

……大して効果はなかった。

なんとかその場はしのげても、やはり数日、数ヶ月、数年経つと記憶から名前が抜けてしまって、顔はぼんやりと覚えているので「どこかで会ったことあるんだろうなあ……」としか思えないのである。

だから街中で親しい顔をみかけても、気軽に声をかけることができない。呼ぼうとして、名前が出てこない。

『最遊記REROAD BLUST』で、哪吒の名を呼ぼうとし言葉が出てこなかった悟空は、まさにこんな気持ちだったのではなかろうかというくらい。

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そんな僕たちはある日、突然この現象の原因に行き当たった。

これも「パーツ」の概念で説明がつくのではなかろうか。

つまりこの人生の各時代ごとの記憶を、パーツたちが分散して持っているのではないだろうか。

小学校の頃、中学校の頃(ほとんど記憶がない)、高校の頃、卒業後……などなど。

さらに卒業後は「バイト先の職場」「サバゲ仲間の人たち」「○○の集まりの人たち」……というように、さらに記憶の分類が細分化されている。

どのパーツがどれを持っているかははっきりしていないし、見知った顔に会った時、都合よく「表」に出てきてくれるとも限らない。

結果、「顔は分かるのに、名前が紐づいておらず出てこない」現象が起きているのではないだろうか。

やっぱり申し訳ないことには変わりないが、原因が分かれば気も楽というもの。

パーツを意識して暮らすうちに、自然と知識と記憶の統合も起きてくるかもしれない。(起きないかもしれない)

上手く折り合いをつける方法が見つかればいいなと、気長にかんがえている。


《主です》
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