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「受容せい」の歴史を歩んできた人類は「多様性」に馴染めるか?

かつてパスカルは書いた。

人間の問題はすべて、部屋の中に1人で静かに座っていられないことに由来する

『パンセ』

人間がひとりの時間を持つこと、静かに内省することの重要性は、現代の脳科学でも実証されている。

それなのに多くの人間は、大事なはずのそれができない。
沈黙が、自分自身が、最も恐れる対象なのかもしれない。


ネコ先生という方の秀逸なツイートが印象に残っている。

「多様性」と「受容せい」って、的を射た表現だなぁ……すごいな……! などと。


自分にとって正しいことだから、きっとあなたも正しいと思うでしょ?

私を救ってくれた概念だから、あなたの役にも立つでしょ?

同じように考えてよ、共感してよ。
どうして共感してくれないの? あなたが間違ってるからこれの良さが分からないんだよ。……。


「多様性」について言われはじめて少し経ったが、僕は考えているうちに思い至った。

人類が多様性を尊重できたことなんて、長い世界史の中でないんじゃないか……? と。


「受容せい」の世界史

僕は高校で世界史を選択した。

学校で習う世界史は、紀元前を軽く取り扱い、基本的にはヨーロッパ世界を中心に据えて教えられていった印象がある。

そんなヨーロッパ史を雑に表せば、「キリスト教がいかにして広がり定着していったか、その教義を軸に人類がどんなムーブをしたか」と言えそうだ。

キリストは多くの人を救い、教え導いたかもしれない。
キリスト教は多くの人を救い、進むべき道を教え、道徳観を効率的に伝えたかもしれない。

一方でキリスト教に関わる人たちの中には、キリスト教以外の宗教を信じる人たちを「異端だ」と見なしたり、自分たち以外の構造で動く社会を「野蛮だ」と断じて啓蒙してあげようと考えた人たちもいた。

教えを広めるという名目でよその文化を破壊したり、よその土地に侵攻したり、はたまた王様が王様であることの正当化のために「神」の名を使ったり……。

しかもこういう視点はキリスト教に始まったわけではなく、紀元前から存在する。

遥かユリウス・カエサルたちの時代やそれ以前から、よその文化や暮らし方を「野蛮だ」と見なすことは行われていたのだ。

自分の身の周りの様子を「普通だ」と思いこんでしまって、それと違うものごとを「異常だ」と見なしてしまうのは、人間のくせみたいなものかもしれない。が、くせで片付くものでもない。

他者の行動に何らかのジャッジを下し、自分の思うように変えようとするのは、まさしく「受容せい」の押しつけだからだ。

宗教の伝道、宗教による侵攻、帝国主義、使用言語の強要……。世界史は「受容せい」に満ちている。



一方の「多様性」とは、「みんなちがって、みんないい」だと僕は理解している。

まさしくネコ先生のイラストにあるような、マイスペースの中で自由にやるイメージだ。

上のような歴史を辿ってきた人間たちが「多様性」を呼びかけはじめたのは良い兆候だと思う。
そして、大多数の人が多様性を尊重しようと意識しはじめてまだ月日が浅いので、そりゃうまくいかないよね…とも思う。時間をかけなければならないのだろうか。

あるいは、これは人類が人類に対して挑む、無意識の反抗なのではないか。


「受容せい」の位置にいるのは、ラクだ。

自分は絶対的に正しいと感じられるし(自分は正しいことをしているからこそ、相手を「救済」してあげられるので)、自分は正しいのだから、自分の行動を振り返って考える必要もない。
他人のことだけ気にしていればいい。

それが「多様性」の視点を持ちだされると、崩れてしまう。

あの人は自分と違う、この人も自分と違う。
じゃあ、自分はどうしたいのだろう?

視点はいやおうなく自分に向いてしまう。

自分から目を逸らして、「受容せい」を押し付けるために周りを見回していたやり方が、すっかり役に立たなくなってしまうのだ。

そうすると、思考に空白が生まれると思う。
いままで他人を気にしていたぶんがすっかりからっぽになる。


何かを減らしたぶん、空いたところに新しいものが入ってくるという考え方がある。

「受容せい」をやめて空いたところに入ってくるのは、自分だ。

多様性の尊重が進む過程で、人はどうしても自分と向き合わざるを得なくなる。つまり、内省、内観、瞑想だ。
人は部屋の中にひとり静かに座っているのが苦手なのに。

ここに、多様性の尊重を阻む無意識の抵抗が隠れている気がする。


人が落ち着いて自分と向き合えるようになった時はじめて、理想の多様性が実現するのではないだろうか。


参考文献:


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