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練り切りが好きすぎて、手作りしない派
お菓子を作るのが楽しくて好きだ。
パイ生地をこねるのとか、お皿に敷くのとか、焼き上がったパウンドケーキをオーブンから取り出す瞬間とかにとても幸せな気持ちになる。
僕は親から譲ってもらったお菓子づくりのレシピ本をとても大切にしていて、「何か作りたいな」と思ったらとりあえずそのレシピを開いている。
和菓子っぽいものも載っているのだが、今まで僕が作ったことのある和菓子はお団子くらいのもの。
和菓子は買う派なのである。
あまりにも練り切りが好きすぎて。
我流でお茶を点てる時のおともは練り切りがいい。(近くちゃんと習いたいと思っている)
お菓子屋さんに行って、季節感のある練り切りを「ひとつください」という時にしか味わえない幸せ感。
季節そのものをつまんで食べている感じがする。
ひとくくりにしてしまえば「練り切り」なのだけど、お店によっていろんな練り切りが存在するのだ。
しっとりした食感の練り切り。
つぶあんが入っている練り切り。
外側の白あんがざらざらした練り切り。
白あん多めの練り切り。などなど。
素敵なものに出会うと「自分でも作ってみたい/やってみたい」となる僕でも、「練り切りを作りたい!」とはある時から思わなくなった。
プロの仕事に出会ったあの日。僕には「自力では越えられない練り切りの壁」が確かに見えたのだ。
百貨店で「大京都展」みたいな催しがあるとのことだったので、京都好きな僕はいそいそと出かけた。
下駄に着物、小物、和柄のあれこれが並ぶ一角に、京都の食のコーナーがある。
ガラス張りのスペースの中で、職人さんがせっせと練り切りを作ってはショーケースに並べていた。
もみじの練り切りをひとつ頼むと、目の前で作った出来立てのものを渡してくれる。ひとつ450円くらいしたと記憶している。小さなケーキだ。
オレンジ色の球がみるみるもみじの練り切りに形作られていく手つきに見とれた。
造形の職人技に感動したのはもちろんのこと、帰宅してから抹茶と一緒に食卓についたころに、次なる感動は待っていた。
その練り切りのおいしいこと!!!!!!
今までに食べたどの練り切りよりも繊細で、どっしりしていて。
小さいのにケーキひとつぶん食べたくらいの満足感がある。
どこかで「おいしい餡子をつくるのは難しい」みたいな話を読んだのを不意に思い出した。
練り切りも、餡子でできてるなぁ。
この高級な練り切りは、きっと京都の歴史と職人技とこだわりで成り立っているんだろうな。
もう少し高くなったっていいから、また食べたいな。
……。
これは職人技だ!
自分でこんなにおいしいものを作るのはムリだ!
悟るように気づいたのである。
お菓子作りは好きだけど、アマチュアにも届かない程度の趣味でしかない僕。
そんな僕が、自分が満足できるような練り切りをつくれる姿がまったく想像できなかった。大雑把だし。
おいしい練り切りを尊敬しすぎていて、自分の技術を「そこ」まで到達させるほどのめりこんで研究する熱意はきっと自分にはないな、と気づいてしまったのだ。
確かに練り切りの細工はとても楽しそうだ。探せば体験教室みたいなのも見つかるだろう。
ある程度は良いものが作れるようにもなるかもしれない。
それでも、練り切りはお菓子屋さんで買うものにしよう、と思っている。
練り切りを買うということは、職人さんの伝統と技術とこだわりにお金を払うこと。
「これからも頑張ってください」と応援の気持ちを表現できること。だと思うから。
あまりにも偉大な、おいしい練り切り様。
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