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蜃気楼的世界観7

「暁……」

 自分の声が私を現在に引き戻す。目の前で暁が剣を振り下ろそうとしていた。無感情な目が私を見下ろしている。

暁の目。私に期待を寄せていた目。

 不思議な感覚が私を通り抜けた。

 すべてがひどくゆっくりとして見える。私は今までになくはっきりと、周りにあるすべての物を見ていた。

 剣を振り下ろそうとする暁。その感情を表さない顔、半分機械に侵された目。そこには共生派への怒りが埋め込まれている。

 嘘だ。暁が抱える怒りも、憎悪も、暁の本当の感情じゃない。それは『異変』の影につき動かされた上皮。

本当の暁は、彼女が私に期待してくれたのは。

まだ、理由も意図も聞けていないけれど。

「私、まだ終われないよ」

 振り下ろされてくる腕を掴んだ。

 押し返すように、掴みあったまま立ち上がる。私たちは間近でにらみ合う格好になった。

「……何の真似だ」

 無感情な口調を続けようとして、けれど紫色の左目は強く語りかけてくる。

そうだ。抗え。生き延びろ。瞳の奥から本当の暁が私を励ます。

「お願い暁。あなたの知っていることを教えて」

 腕を掴む手に力がこもる。私は自分が願おうとしていることにうろたえ、けれどこれが絶対に必要だと感じていた。

「どうして私にあんな期待をかけたの。あんな――自分で考えさせるようなことを。私ひとりじゃ分からない。もっと話したら、あなたの期待に応え続けたら、いつか分かる時が来るのかな。

もしそうなら、私のために時間を頂戴。逃げ延びて、答えを探すチャンスを――目を覚まして、私に教えて」

 機械の腕が震える。暁は二本の剣を取り落とした。

 掴んだ手が振り払われる。激しく後ずさり、機械の腕を押さえる。機械の手足は私に向かおうとして、暁がそれを押しとどめる。思う通りにならない体を恨む、咆えるような絶叫が庭園じゅうに響き渡った。

 こだまが消える。

「――まずは上出来だ。だが、気を抜くなよ」

 顔を上げた暁は、いっとき自分を取り戻していた。

 踵を返し、まっすぐコクアに歩み寄る。そばに膝をついて座りこむと、傷ついた体に手の平をかざした。

手の平から黄緑色の光があふれだす。どうやら傷を癒す力を持っているらしい。

 暁はコクアにそっと語りかける。

「目を覚ませ。お前がスズネを守らずに誰が守る」

「う……」

微かだがうめき声が聞こえて、両足から力が抜けそうになった。良かった。コクアは生きている。

 コクアが気がついたのを確かめると、暁はクーガにも同じようにする。私はコクアに駆け寄った。

「スズネ……? 俺、どうしたんだ?」

 不思議そうな顔で私と暁を見比べている。

「暁が助けてくれたの。上手く説明できないけど……助けてくれた」

 話しているうちにクーガも目を覚ました。暁は立ち上がり、きりりとした顔で背筋を伸ばす。

「逃げろ。追っ手は私が食い止める。逃げて森までたどり着け」

「駄目だ」

クーガが暁に追いすがった。

「暁。駄目だ。君も一緒でなくちゃ」

「私は行けない。増幅された憎しみが、いつまた私に自我を失わせるか分からん。お前たちに迷惑をかけたくない」

「迷惑だなんて思わないのに」

「クーガ」

 優しく言葉を制する。暁の目は優しかった。

「スズネを支えてやってくれ。今の私には努めきれない。――なぜお前に頼むか、分かるだろう?」

 何度も繰り返してきたやり取り。この問いかけと答えは、二人にとって合言葉にも似た意味を持っている。クーガはそれを思い出していた。

だからこそ言葉に詰まる。認めたくなさそうに首を振る。

 けれど私たちに逡巡(しゅんじゅん)は許されていなかった。警報は未だに鳴り続けていたし、それに混ざっていても分かるほど大勢の軍靴の音が、確実に庭園を囲もうとしている。

 今すぐ、決めなければならない。後から悔やむかもしれなくても、まずは生き延びなければ。

 クーガは俯いたまま立ち上がった。

「……分かる。分かってるよ。必ず助けるから、無事でいてくれ」

「あの木の陰に正面玄関がある。大通りに出たら真っ直ぐ森まで走るんだ」

「……分かった」

 私たちは走りだす。暁をたった一人残して。

 指示された場所に、確かに玄関扉はあった。コクアが器用に鍵を壊すと、難なく開く。

 私たちは王宮を飛び出した。

 

 

*

 

 

 外は静まりかえっていた。

 玄関の正面には大階段が開け、そこから町の大通りへ下りられるようになっている。階段の一部は削られていて、別に地階へ続く扉が造られていた。さっき私が犬車に乗って通った扉はたぶんここなのだろう。

「煙がなくなってる」

 クーガがぼそりと言った。そうだ。見晴らしの良いことに私も気づいた。

 排煙は綺麗に消え去り、王宮の周囲に広がる工場街が見渡せた。大通りは幅二十メートルはあろうかというほど広く、そこをまっすぐ走った先、ずっと離れたところにこんもりと茂った森が見える。空はすっきりと晴れていた。

「やけに静かだな」

 コクアが油断なく辺りに目を配る。私たちは大階段を下り、大通りの上を小走りに進みはじめた。

「排煙が消えた、ってことは、工場が停止してるのかな。でも、どうして……?」

 絶えず工場を動かして、貴族の必要を満たし続ける。ウエルドの言葉を思い出して、私は首を傾げた。

 工場の出入り口で何かが動いた。

「何だ!?」

 クーガとコクアがとっさに身を固くする。私を守るように前後で身構えた。

 大通りに横たわっていた静寂は、近づいてくるガシャンガシャンという音に破られる。金属製の体がひしめき合い、ぶつかりながら動いているような。

 出入り口の暗がりから、少しずつ相手の姿が見えてくる。クーガとコクアは驚きのあまり息を呑んだけれど、私はうっすらこの登場を予感していた気がする。

さっき私に助けを求めてきたのと同じ、無骨な機械の体に縛られた工員たち。その体は一様に鉄骨を組み合わせただけだけれど、顔は男性、女性さまざまいた。中には体の大きさは他と変わらないのに、顔立ちから明らかに子どもと思しき人もいる。その無気力に沈んだ顔は、体がみんなの意志に関係なく動かされていることを感じさせた。

 先頭の何人かがふと顔を上げ、進路の先にいる私たちに気づく。

「あ! 伝説の人!」

「クーガ!」

無気力だった顔が喜びに輝いた。

「……嘘、だろう……?」

 答えるクーガの声は震えていた。

「プア。リコ。みんな生きている、のか……?」

 この姿を「生きている」と表現して良いのだろうか。クーガの動揺とためらいが手に取るように分かる。

 先頭を進んできた男性もそれを分かっていた。

「ああ、そうだ。おれたちはまだなんとか生きてるよ。もっとも、これを『生きている』と呼べればだがな。

 良かったよ、クーガ。おれたちを助けに来てくれたんだろう。伝説の人だっている。ヴィジョンは本当だったんだ。もうすぐこの地獄は終わる、なぁ、そうだろう?」

 弾んだ声でまくしたてる。その間に彼の右腕が持ち上がっていくことに、私たちは気がついていた。

 男性は気づかず話し続ける。

「ここはひどいところだ。体と心のバランスが取れずに何人も死んでしまった。さあ、早く。おれたちを何とか助けてくれ」

 私たちは後ずさる。クーガが引きつった声で尋ねた。

「プア。一体何をしようとしているんだ?」

「え?」

 指摘されて初めて、プアと呼ばれた男性は自分の腕を見る。それが暴力的に振り下ろされていくのを見て、半狂乱になって叫んだ。

「逃げてくれ!」

 コクアが私の手を掴んで強く引く。目の前の地面に鉄骨の腕がめり込んでいた。ついさっきまで私が立っていた場所。もしあれに押しつぶされていたら……。

「い、嫌だ。やめてくれ!」

「彼らを殴らせないでくれ!」

 私たちの周りで次々に悲痛な懇願が湧く。見回すと、私たちを頼って集まった人たちが今度は私たちを取り囲み、次々に重い鉄骨の腕で殴り掛かろうとしていた。

 不本意な暴状(ぼうじょう)。

「止まってくれええええ!」

 みんなが腕を振り上げて私たちに襲いかかる。自分の体を自分で止められない、絶望に歪んだ大勢の顔が押し寄せる。クーガは円月輪を握ろうとして思い直し、鉄骨の体の隙間を縫って駆け出した。コクアと、手を引かれた私もそれに続く。

 私たちの認識は共通していた。彼らを、クーガの仲間だった人たちを傷つけるなんてできない。これ以上なにも起こらないうちに、ただ、逃げる。

 揺れ動く鉄骨の木立を、身をかがめて必死にくぐり抜ける。あちこちで腕を振り下ろす音。そのたびに重い衝撃が地面を揺らす。

「お願いだ、よけてくれ!」

「クソ! 止まれ! 止まれ!」

 自分の意志では動かない、機械の体をみんなが呪う。謝罪の言葉と共に殴り掛かってくる。苦悩に歪んだ顔が次々に現れて後ろへ過ぎ去る。虚しい抵抗の言葉がうなりのように耳を叩く。

 狂気だ。この状況は狂気じみている。

 大通りを抜けようとする私たちを追って、機械の工員たちもゆっくり流動している。押されて誰かが倒れても、誰も助けられない。「大丈夫か!」声をかけた人の足が容赦なく倒れた人を踏みつけて通りすぎ、群れは非情のまま動き続けた。

 それでも走るのは私たちの方が速い。なんとか群れを抜け出すことができそうだった。大通りを抜けさえすれば、あとは森までまっすぐ走るだけ……。

 それで気が緩んだのだろう。

 蹴ったはずの地面が土で滑り、私の足が空回る。足首に走った鈍い痛み。喉から潰れたうめき声が漏れ、両足から力が抜けて倒れこんでしまった。

「スズネ!」

 倒れたはずみで手が離れる。コクアが慌てて立ち止まった。

「う……」

「大丈夫か!」

 コクアが隣に座りこんだ。私はなんとか体を起こしたけれど、立ち上がって走り出すことができない。その間にも機械の工員たちが迫る地響きは大きくなっている。

「逃げてくれ!」

「早く逃げてくれ!」

 先を走っていたクーガも駆け戻ってきた。

「スズネ。どうしたんだい?」

「ごめん。足を捻ったみたいで……」

 立ち上がろうと膝を立てる。あとは力を入れるだけなのに、それができない。足が立ち方を忘れている。

 行かなきゃ。走らなきゃ。自分を鼓舞するほど気持ちばかり焦って、ますます力が入らない……。

 見かねたコクアが私の背中に手を触れた。

「もう時間がねえ。スズネ、気を悪くするなよ」

「え? あっ!」

 聞き返す間もなく体が持ち上げられる。コクアは軽々と私を横抱きに抱えて、クーガに劣らない速度で再び走りだした。クーガも後方を警戒しながら、コクアの横をついてくる。私は動揺と緊張で身が縮まり、押し黙ったまま運ばれて行った。

 機械の工員たちとの距離はみるみる開いていき、ついにどう頑張っても追いつけないほどになる。逃げろ逃げろと私たちを急き立てた彼らの懇願は、今は別の言葉に変わって荒野を渡っていた。

「助けてくれ! おれたちを助けてくれ!」

 私たちは森へ入った。

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