1周忌を祝う
愛犬モカが亡くなって1年。2023年11月17日は彼の命日でした。
犬用ケーキをおそなえして、静かにお祝い。
悲しい気持ちはもちろんあるけれど、どんどん寝たきりに近い状態になっていく闘病期間終盤は、きっとモカにとってももどかしいことがたくさんあったと思うから。
「寂しい」より「悲しい」より先に、「お疲れ様」を言いたいねという明るめのマインドを心がけています。
以前と同じ形で撫でたり触ったりすることはできないけれど、気が向いたら遊びに来てくれたり、おしゃべりに付き合ってくれたりもするわけなので。
約束を守って、飼い主はちゃんと2日に1回ペースで掃除機をかけています。規則正しい生活をありがとう。
さて、半年ほど前に見た、フクダウニーさんの一連のツイートが僕たちの心に残っています。
たびたび思い出しては心があたたまるお話しのひとつです。
それで私も妄想したんですけれど、地上の人々が送る「誰かの1周忌」って、天界視点からすると「その人が初めて天界にやってきた日」になるなと思いまして。
私たちは「モカが亡くなった日」を「闘病お疲れ様の日」としてお祝いしたり悲しんだりしますが、天界では「モカくんようこそ記念日」で祝賀会など開かれていたら楽しそうだな……! と想像するなどしました。
天界でお友達ができていたらうれしいので、友達とかがたくさん長テーブルを囲んでいて。
卓上にはみんなの好きなものが食べきれないくらいたくさん並んでいて豊かで。
会場は紙吹雪とかお花とかありとあらゆるもので綺麗に賑やかに飾られていて。
……いたらいいなぁと、思いました。
地上に残された人が亡くなった誰かのことを考える時、天界にいるその人の頭上にお花が降ると言われます。
モカは食べることが好きだったので、お花と一緒においしいものもたくさん降りそそげばいいな、とはよく考える想像です。
天界でも誰かの誕生日や命日(天界ようこそ記念日)が祝われたり、自分が主役になったり友達の会に出席したり。
一緒に暮らしたことを振り返るだけだと寂しくなりすぎてしまうこともあるから、天界で送っているかもしれない楽しいニューライフまで想像を広げると、ちょっと穏やかな気分になれる気がしました。
「今日はモカの1周忌だな」という事実は当日つねづね頭に浮かんでいたのに、モカが亡くなったあたりの時間は「気づいたら過ぎていた」という過ごし方をしてしまいました。
次にやる卓(TRPG)の準備をしていたんです。
時間が過ぎていることに気づいた時は「あっ」と思いましたが、でも、そんなもんでいいのかな、なんて。
あんまり寂しがられすぎるのも、彼の本望ではないと思ったので。
私たちが生きているのは1年前の過去ではない。
1年後の私たちには今の私たちの予定があって。
それは人生のパートナーのことを忘れたわけではなく、ちゃんと「今」を生きていることになるのではないかと思いました。
命日には飼い主の数だけ向き合い方があるのだろうと思います。
私たちは、これくらいの距離感になりました。
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