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ふわふわスピリチュアルを超えた先にある、もっと大事なスピリチュアル

「スピリチュアル」の本質について考える

「スピリチュアル」という概念や世界観を知った時、とても魅力的だと思いました。

この3次元という世界の他にも、次元の違う世界や惑星の文明があって、次元が違うからそれらは目に見えないけれど、地球にも密接にかかわっていて……。

大好きなファンタジーの世界が、そのまま「実は、本当のことなんだよ」と告げられたような気分。

かつて抱いた空想が、この世界のどこかげ実現しているかもしれないロマン。

けれど「スピリチュアル」という世界でいろいろな人と関わるうちに、私の考えは変わりはじめました。

目に見えない存在の実在や、彼らとのコンタクトに憧れるのは、わくわくすることだけど少し浅いのです。

では、本当に大切なことは何か。

私は「自分の哲学を多様化させる」ことだと感じています。

2種類のスピリチュアル
表層:ふわふわスピリチュアル

まず、スピリチュアルには2種類あると思っています。

表層にあるのが、私が「ふわふわスピリチュアル」と読んでいるもの。

こことは違う次元が存在し、高次元の存在が地球をサポートしていて……など、目に見えない世界に憧れる段階のことです。

目に見えない不思議な世界。わくわくしますね。

これにハマるのは、決して悪いことではないと思います。

これはスピリチュアルの広い入口のひとつだし、今まで潜在的に感じていた「生きづらさ」の原因を、出身惑星の中に見つけられる人もいるからです。

異次元の存在をチャネリングしてメッセージをもらえるセッションは、エネルギッシュで力をもらえます。

とはいえこれが、スピリチュアルのすべてではない。

「チャネリング、かっこいい!」

とはなんとか言っている間に、気づけば自分でもちょっと分かるようになっていたりします。

中層:霊的感覚の目覚め

天使、妖精、ユニコーンの存在にキャッキャして、ワークショップに参加し、気軽に瞑想などをしているうちに、自分にもともと備わっていた霊的感覚のスイッチが入ってきます。

重要なのは、霊的感覚は他人に授けてもらうわけではないということ。

目に見えない存在と繋がる能力は、誰でも持っている第六感なのです。5感+1。

身長の高い・低いがあるように、もともと強い・弱いがあるだけなのです。

成長期の人がセノ○ックを愛飲するごとく、霊能力は練習によってある程度伸ばすことができます。

だから「私は霊能力がなくて、チャネリングができる○○さんは本当にすごいと思います」という褒め言葉、実はあんまり褒めてない。

練習すればできることを、自分で自分に向き合うことが怖いから、他人任せにしている可能性があります。無意識の逃げ。

話が逸れました。

また人によっては、意識的な練習なしに霊能力が開眼することもあるかもしれません。

「スピリチュアル」という概念、世界観を知ったことで、受け入れ態勢が整ったのでしょうか。

深層:多様性の受容

ここが「スピリチュアル」において、そしてスピに関わらない人にとっても最重要な部分だと思っています。

スピリチュアルを深めていくと、「多様性」の一言にたどり着くのではないでしょうか。

スピリチュアルは多様性で満ちています。

目に見えない、さまざまな次元。

そこに存在する、さまざまな惑星の存在。彼らは個性的で、それぞれがそれぞれに必要な精神的成長の段階にいる。

どれが優れていて、それが劣っているという話ではない。

霊能力が開花したなら、人によって目に見えない世界を感じる方法は様々。

はっきり目に見える人。

声が聞こえる人。

気配を感じる人。

悟ったように答えにたどり着く人。

そのどれもが正解で、優劣はない。

仮に同じ存在に繋がったとしても、人が違えば感じ方も変わってきます。

だから多様性への受容ができていないと、「あなたのは間違っている。私の感じたことこそが正しい」という無限の争いが起きてしまうのです。

スピリチュアルの探求と、多様性の受容は同時進行が必要なのです。

人間性の成長、と言い換えることもできるでしょう。

スピリチュアル分野を本当に自分の人生に活かすには、金子みすゞ先生の「私と小鳥と鈴と」よろしく、「みんなちがって、みんないい」の精神が必要なのです。

スピリチュアルすら、多様性の一側面にすぎない

けれどちょっと立ち止まって考えると、それはスピリチュアル分野だけの話ではないことに気づきます。

生きることそのものに、人間性は重要だから。

イメージするなら、「スピリチュアル」という入口から入って、「人間性の成長」という成長過程を歩きはじめる感じ。

入口は人の数だけ無数にあり、人によっては「仕事」「茶道」「子育て」かもしれない。

どこから入っても、優劣はない。

「スピリチュアル」だけがこの世の高尚な分野でもなく、人間性を磨く入口のひとつに過ぎません。

ただ、精神や哲学に深く関連する分野なので、直結しているように見られがちなのでしょう。

向き合っているうちに「スピリチュアル」も生活の一部になって、「スピリチュアル」をきっかけに多様な価値観や生き方に寛大になれる。

そういうものなのかな、と感じています。

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