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蜃気楼的世界観3
森が私の前に広がっていた。
……ん?
周りを見回す。果てしなく広がる、手つかずの木立。地面は落ち葉が積み重なって柔らかくなっている。木漏れ日が踊るほかは何も動かない。道、建物、人工物。およそ人の気配を感じられるものは何もない。
ここ、どこだろう。どうして私はここにいるの? 私は確か……。
「っ!」
突然襲ってきた激しい痛みに頭を押さえる。声にならないうめき声が口から漏れた。気づいてしまった事実に、私は愕然とした。
ここへ来るまでのことが思い出せない。
考えることを放棄してしまいたくなるほど、本当に、何も浮かばない。私は、今までどこにいた? どうやってここまで来たの。記憶を辿ろうとすると頭にもやがかかったように判然としなくなって、次にはひどい痛みが頭を襲う。
両手を見下ろすと、何も持っていない。高校の制服を着ているのに、いつも持ち歩いている鞄がない。ポケットも空、携帯もお財布も……。
否、それとも、これは些末な問題? 知らない場所にいることの方が重大だろうか。いやいや、貴重品を持っていないことも同じくらい……。
未知の状況に圧倒され、何から捉えて対処すれば良いか分からない。不安と混乱でわけが分からなくなりそう……頭を抱えてうずくまる。
刹那、思い出した。
本当に一瞬のことだった。視界が白く染め上げられて、私は強烈な確信と共に思い出す。「クーガ」という名前を。
そうだ、クーガ。私はクーガという人に呼ばれてここへ来たんだ。それだけは確かだと、自信を持って言える。
一方で私は、その人が誰なのか、どんな姿をしているのかも分からない。じゃあなぜ、呼ばれてきたことを確信できるの? 生まれた矛盾に対する答えが見つからなくて、折り重なる疑問がまたひとつ増えてしまった。
じゃあ、まずはそのクーガという人に会ってみようか。私は唯一確かそうな目標にしがみつくようにして、他の困惑させられる要素を一度脇に置いておこうとした。
頭上で小鳥たちがさえずりを交わしている。
「見つけた! テン、こっち! こっちだよ!」
なぜかピチュピチュ言う声が、私が知るのと同じことばに聞こえる。
小鳥たちの呼びかけに答えるように、天高いところから鷹の声が響いた。
木漏れ日を透かして、大きな姿が旋回しながら舞い降りてくる。左右対称に広がった翼、だんだん近く見えてくる美しく重なる羽の茶色。私はうっとりとして、鷹が近くの枝にとまり羽根を畳むのを見つめていた。不思議と、怖いとは感じない。
鷹は黄色い目で私を見下ろした。
「やあ、スズネ。ここにいたんだね。探したよ」
まだ幼さを感じさせるような、張りのある男の子の声。私は目をしばたいた。
「ええと……。なんで私の名前。それに、言葉が、話せるの?」
「もちろん。ボクたちは自分のことばでいつも話しているし、ヒトのことばも分かっているよ。
……そうだ、自己紹介をしなくちゃね。ボクはテン。クーガに頼まれて、君を迎えに来たんだ」
「クーガ! クーガを知ってるの!」
喜びのあまり、テンに飛びつきそうになった。テンは全員を揺らすようにして「うん」と頷く。
「クーガのところまで案内するよ。ついてきて!」
滑るように飛んで、少し先の枝にとまる。私は小走りに後を追った。
*
「ねえ、ここは一体どこなの? 私、気づいたら森の中にいて」
テンに導かれながら森の中を進む。木漏れ日が地面にまだら模様の光を躍らせ、どこか遠くも近くもないところで鳥たちが鳴き交わていした。時間が分かるものを持っていないからか、今が夜ではないことくらいしか分からない。私にはどこを向いても同じ景色に見えるのに、テンはきちんと方角の見当をつけて私を案内してくれているらしかった。森に慣れている。
私が疑問を投げると、テンはこともなげに衝撃的なことを言った。
「ここは深層大陸ディーバって呼ばれてるよ。今ボクたちがいるのは東の森。もうちょっと行くと南の森に入れるんだけど、そこにボクたちの集落があるんだ」
「……ディーバ……集落」
落ち着いているなんて無理だった。聞いたこともない地名。「集落」という聞き慣れない響き。そもそも、地球上にそんな名前の大陸があっただろうか?
知らない場所なら、帰らなきゃいけないんじゃない?
試しにテンに私が住んでいる辺りの地名を伝えてみるも、「聞いたことないな」と首を傾げられて終わってしまった。焦燥が全身を駆け抜け、背中を嫌な汗が流れる。
どうしよう。私は思った以上に重大なことに巻き込まれているのかもしれない。
自分がなぜこんなところに来てしまったのか、全く分からない。クーガに会えば、今私が分からないでいることの一切が解決されるんだろうか。
「ねえ、クーガってどんな人?」
「クーガは共生派のリーダーなんだ。すごく強くて優しい人だよ。あっ、共生派っていうのはね、ボクたちが暮らすグループの名前」
私があらゆることに釈然としない顔をするので、テンは私が何も知らないことに気づいたらしい。そんな私を見下すでもなく、馬鹿にするでもなく、まるで昔話を語る年長者のように、ディーバの過去を語りはじめる。
「その昔、ディーバには一つの共同体だけがあった。でも今から百年前、大陸に影が現れて、ディーバを覆い尽くしてしまった。『異変』と呼ばれている出来事だよ。その時から、ボクたちは二つに分かれて暮らすことになってしまったんだ。管理派と共生派にね」
管理と共生。それは人間を取り巻く世界――自然――の捉え方の違いを示す表現らしかった。
管理派は、人間は自然界の頂点に君臨する進んだ存在であるので、自然を管理することが人間の使命であると考える。
一方の共生派は、人間も自然の一部だから、人と動物、植物が手を取り合って、調和を保って生きていこうと考えている、と、私は話を聞いて理解した。
「管理派は荒野の向こうに『バンプール』っていう町を作って住んでいるらしいよ」
「テンはバンプールに行ったことはあるの?」
「ううん。遠目に見たことがあるだけ。剥製にされるのは嫌だしね」
さらりと不穏なことを言う。「向こうでは、動物の剥製は高級な飾り物なんだって」と付け足した。私はとっさに反応に困り、曖昧に頷いて何も言えない。
「でも」
急にテンは明るい声になる。
「スズネが来てくれたから、この分断ももうすぐ終わりだね。なんといっても君は、みんなが待ちに待った『伝説の人』なんだから」
耳を疑った。
「私が、なんて?」
「伝説の人」
ひどく大仰で、身に覚えのない呼称。とても私のこととは思えない。きっと人違いだ。
「ううん、確かに君のことだよ。ここではみんな知っていることさ」
テンは強い確信を持っていて、私が否定しようとしても揺らがなかった。
「あの『異変』の日、ボクたちは同じヴィジョンを視た。共生派の人たちが全員視たんだから、きっと管理派の人たちも視たんじゃないかな。真っ暗い闇の中、誰かが遠くで光を掲げているんだ。和解の光。争いと分断を終わらせる光。目にかかった曇りを取り去る光。その光を持っていた人こそ、スズネ――つまり君だったんだよ」
「ヴィジョンて……。みんなが、偶然同じような夢を見ただけなんじゃ……? 私は光を掲げるなんて知らないし、そのために何をすれば良いかも分からないよ」
私のさしあたりの目標は、クーガに会って話を聞くこと。光を掲げるなんていう、漠然としていて、大それたこと――まるで、この世界を救ってくれと言われているみたいじゃないか――なんて、できるはずがない。
私はただの高校生で、何の力も地位も持ってはいないのだから。
「きっと人違いだよ。確かに私はスズネっていう名前だけど、同じ名前の人なんてたくさん……」
言いかけた時、前方の枝にとまったテンがさっと身を固くしたのに気づく。右手に視線を投げていた。
「どうしたの?」
「スズネ。隠れて!」
駆け寄った私に鋭い指示が飛んできたのと、テンの視線の先から「いらしたぞ!」と声がしたのはほとんど同時だった。
そちらを見やると、風変わりな鎧で全身を固めた兵士たちが五人、小走りでこちらへやってくる。私は兵士たちの格好に目を見張った。
まるで全身が機械で覆われているみたいだ。鎧は曇った真鍮でできているせいで全体的に茶色っぽく見え、歯車やバネ、パイプを寄せ集めて作られていることが、近づくごとにはっきり見えてくる。落ち葉を踏み分けて響く微かな駆動音に気づいた。うち四人は兜の奥から赤い一つ目が覗いていて、完全に機械なのかもしれない。人間と遜色ないほど、なめらかに走ってくる。高度な技術だな、漠然とした印象を受けた。
テンは彼らが近づいてくるのを見ると、飛び上がって木の葉の陰に身を隠してしまう。
先頭を走ってきた兵士は私の前で立ち止まるなり、「やはりだ」と兜の奥で呟いた。おもむろに兜を脱ぐと、二十代前半くらいの凛々しい男の人の顔が現れる。
その人は私の前にひざまづいた。
「伝説の人よ。よくぞディーバへいらしてくださいました。かような場所で案内もおらず、さぞご不便をお感じになったことでしょう。僭越ながら我々貴女様をお迎えに上がりました。首都バンプールでは総統が貴女をお待ちになっております。ぜひ我々と共にいらして下さい」
立ち上がり、恭しい動作で私の手を取ろうとする。気づいたら、一歩下がって彼を避けていた。
「いいえ、私伝説の人じゃ……」
断る理由を探そうとして、言いよどむ。混乱。困惑。性格の違う感情が私の中で渦巻いて、とっさにどう反応して良いか分からない。テンが警戒している相手――管理派の人間を信用して良いものだろうか? このままこの人たちについて行ったら、共生派であるクーガには会えなくなってしまうと思う。私の唯一の手がかり。
「それに、クーガっていう人に会わないといけなくて……」
なんとかして断りたい。とにかく、一緒に行けない理由を話さなくちゃ。しどろもどろになりながら話す私を、木の葉の陰から囁き声で、「ついていっちゃいけないよ、スズネ」テンが励ましてくれていた。
止める間もなかった。
木立に鋭い銃声が響きわたる。こだまが幹にぶつかって跳ね返りながら遠ざかる。私があっと声を上げた時にはもう、機械の兵士がひとり、頭上の枝に向かって発砲した後だった。その手に握られているのはひどく旧式に見える銃。
銃声のこだまに混ざって、慌ただしい羽ばたきの音が遠ざかっていく。弾はテンに当たらなかったのだろうか。怪我をしてしまったんじゃない? 息苦しさに気がついて、慌てて息を吸いこんだ。いつの間にか息を止めてしまっていたみたいだ。動悸の収まらない胸を押さえる。
あの兵士、ためらわなかった。私たちと同じ言葉を話す存在を――命あるものを傷つけようとすることを。
機械の兵士は動揺した風情もなく、男の人に向き直って報告する。
「班長、申し訳ありません。獲物を取り逃がしてしまいました」
発せられた声は合成的で、やはり中身は機械らしい。班長と呼ばれた男の人は「うむ」と頷いた。
「目障りな邪魔者は去ったのだ、目的は達せられたからよろしい」
「は」
機械の兵士は直立不動で敬礼し、男の人は改めて私を見る。
「大変失礼いたしました。さあ、こちらへいらして下さい。バンプールへ参りましょう」
「で、でも私。あんな……急に撃つなんて」
差し出された手を取れない。両足が震え、そんな自分自身にまたひるむ。テンを傷つけようとしたことを責めたいのに、頭が真っ白になって言葉が出ない。これじゃあまるで、私も一緒にテンを裏切っているようじゃないか。
「バンプールへ参りましょう。総統がお待ちです」
す、男の人の目が細くなる。瞳の奥で光った不穏な色に、私は寒気を感じた。
表面上は、愛想の良さそうな笑みを浮かべている。一緒に来てくれと言っている。けれど目は笑っていない。おとなしく従わないなら手荒な真似も辞さない――例えばつい今しがた、あの鷹を撃とうとしたように――疑いようのない鋭さで語っている。
口を縫い留められたように錯覚する。嗚呼、求められた通りに行動しなきゃいけないんだ。私の意見なんて誰も求めていない。私がすべきは、期待されたことをただやること。
「……分かりました」
恐怖で縮み上がった喉から、かぼそい声を絞りだす。男の人はふっと目の奥の鋭さを収め、にこやかに私の手を取った。
軍靴が柔らかい落ち葉を容赦なく踏み砕く。気づけば始終聞こえていた鳥の声は止んでいた。ここに住む者たちみんなが息を潜めて、管理派の兵士たちが通り過ぎるのを待っている。
私も手を取られて歩いていく。落ち葉を踏む両足の感覚は進むごとに薄くなり、私は途中から義務感に引きずられて歩いているような気になってきた。
体は兵士たちについていく必要性を感じている。傷つけられないため、生き延びるため。けれど心は後悔と罪悪で満ちている。テンのために怒れなかったこと、クーガに会えないまま森を出ようとしていること。両者が激しくせめぎあう。
どうする? 逃げる? 例えば今急にこの手を放して、森の奥を目指して走りはじめたらどうなるだろう? 私は撃たれてしまうだろうか。連れ戻されてしまうだろうか。
それとも、上手いこと逃げ延びて、テンやクーガに会うことができる?
想像ばかり膨らんで、その間にも私の足は着実に森を出る方向に向かっている。思考は可能性より必要性に支配されていた。
今期待されているのは逃亡じゃない。私がバンプールに行くことだ。期待に沿うことの方が、きっと大切。撃たれて後悔したって、手遅れになるだけだから。
クーガ、ごめんなさい。私は何も決められないよ。テンのために怒れなかったよ。むしろテンを撃った人たちに連れられて、遠くに運ばれようとしている。
これで、本当に良いんだろうか。
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