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蜃気楼的世界観15

 風に混ざる葉擦れの音。白く光る彼岸花が辺り一面に揺れていた。

 満天の星空と、彼岸花の白が共存して輝き合っている。こんなに綺麗な景色を、今まで見たことがない。それとも、私はずっと前からここを知っていただろうか。

「……不思議なところ」

 私が言おうとしたことを、私が言おうとしたタイミングで、別の声が口にする。驚いて右隣を見ると、右手に握る小さな手の感触に気づいた。

 目が合ったのはフィーリオスだった。

「あっ……」

 びっくりした勢いで、手を放しそうになってしまう。それをフィーリオスが強い力で繋いで引き留めた。

「このままいようよ」

 ちょっと照れ臭そうに、けれどはっきりと言う。私が隣に並んでいることを、一緒にいることを受け容れてくれている。それが嬉しくて、安堵して手を握り返した。

 近くでうーんと声がして、彼岸花の中から大きな体が起き上がる。その声と遠目に見える姿だけで、私にはそれが誰だか分かる。

「コクア!」

 気づけば名前を呼んで駆け出していた。

 眠そうに目をこするコクアに駆け寄って、飛びつく。一緒に彼岸花の中に倒れこんだ。笑い声が星空に弾ける。

「おわっ! 鈴音!?」

「良かった! コクア。良かったよ」

フィーリオスが少し遅れて追いついてくる。

「鈴音、影に勝ったんだな。……ここは?」

 ひとまず体を起こして、辺りを見回す。うん、勝ったよ。頷くと、実感がさざ波のように押し寄せてきた。

 そうか。私は勝ったんだ。もうディーバは安全だ。

「よく頑張ったね、鈴音」

 どこからかクーガの声が響いてくる。フィーリオスの両脇に白い光が集まって人の形をとると、そこにクーガと暁の姿が現れた。暁は大切なものに触れる時の手で、フィーリオスの肩に腕を回す。

 クーガは言った。

「影を追い出して、生きようとしてくれてありがとう。君の決断に敬意を表するよ」

 コクアが立ち上がるのに手を貸して、一緒にクーガたちの方へ歩いていく。三人は満ち足りた顔で私を見ていた。きっと、私も同じ顔で三人を見ている。傷も、苦しみもない。

「みんな、無事なの? ここはどこ?」

「私たちはこの通り、何の傷も残してはいない。お前が影を追放したお陰だ。ディーバは低い次元の束縛を解かれ、再び流動性を取り戻すだろう。ここは、ディーバよりも深いところ――心の深遠、とでも言えば良いかな」

 そう語る暁の体は、機械の部品ではなく生身の肉体を取り戻していた。

「つまり……新しいディーバが生まれるってこと?」

 クーガが首肯する。

「そうだよ。君の心は本来の姿を取り戻す。もう影に振り回されて、死に魅せられることはない。今までより、もっとバランスの取れた世界になると思う」

 ふと、フィーリオスと目が合う。澄んだ紫色の瞳。憎悪に燃える赤は影とともに手放されたのか。バランス、と呟くと、フィーリオスがにこりと笑う。何かが通じ合った気がして、気づけば私も笑みを返していた。

 そのフィーリオスの視線が、私を外れてコクアに向かう。

「あ」

「――おっと」

 振り返る。コクアが自分の体を見下ろしていた。体が内側から白く光っているのは、きっと見間違いではないだろう。

 クーガだけはさして驚いていなかった。むしろ、これが当たり前のことであるかのように、

「行くんだね」

「そうみたいだ」

「行く? どこへ?」

 二人の間では理解されていることに、私はついていけない。

「コクアだって私の心の中の人なんでしょう。どうしていなくなるみたいなことを言うの」

「……実は、違うんだ」

 コクアは肩をすくめた。

「俺はお前と同じように、外の世界に生きてる人間だよ。今回はクーガに頼まれて、鈴音を手伝いに来てたんだ。クーガが異変にあてられる前からノア=ラーアウにいて、一緒にお前が来るのを待ってた。今まで秘密にしてて、ごめんな。お前を混乱させないように、全部終わるまでは黙っておくって、クーガと約束してたんだ」

 それから言いにくそうに目を逸(そ)らす。

「俺は……まあ、あれだよ。腐れ縁ってやつ」

 そう言って首の後ろに手をやる。私には何を言われているのかまったく分からなかった。現実で――ディーバの「外」で、コクアのような人と知り合った記憶はない。「腐れ縁」って、どういうこと?

「腐れ縁なんて。コクア、照れてるのかい?」

 クーガが笑って付け足した。

「鈴音のために、もっとロマンチックな言い方をしようか。コクアは君の『ソウルメイト』、かな」

「……え?」

 思わず聞き返す。いや、聞き間違いじゃなかった。

 コクアは、私の運命の人なんだ!

「え、え? どういうこと? コクア、どこに住んでるの? 私たち会ったことある?」

「まだないよ」

 前のめりになる私を見て、フィーリオスが笑いをこらえる。

「そうだぞ」

コクアも頷いた。

「俺たちはまだ会ってない。外の世界ではな。多分、これから先のどこかで会うようになってるんだろ。詳しいことは、俺にも分かんねえけど」

 私はクーガたちを見た。

「三人は私の人生を見守ってくれてるんでしょ。先のことも見通せるんじゃない? いつどこで会うのか教えてよ」

「先のことが何でも分かれば良いわけじゃないんだぞ、鈴音」

 暁はたしなめるようだ。みんな微笑ましく私を見守るだけ。

「心の声に従って生きろ。そうすればその先にこいつがいる」

「ああ、だからお互い、会うまで頑張ろうぜ」

 別れの気配が濃くなってきて、私は言いようのない寂しさに包まれる。また会えるって、その「また」はどれほど先のことだろう。一年後、五年後、十年後……もっと先かもしれないじゃないか。いきなり未知の可能性の中に放り出されるようで、長く会えなくなる気がして、ひどく寂しい。

 クーガが丁寧に口を開いた。

「コクア。僕たちを助けてくれてありがとう。君がいなかったら、僕も真実を見失って、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。僕たちがここにいられるのは、君の助けがあったからこそだよ」

 握手の手を差し出す。コクアが強く握った。

「大したことはしてないさ。ちゃんと鈴音が強かったんだよ」

光が強くなる。けれどコクアの表情は明るい。

 私たちから遠ざかるように、彼岸花を踏み分けて歩きだす。

「また会おうぜ」

 大きい背中が遠ざかる。軽く振った手が光に包まれて見えなくなる。

 行ってしまう。私はまだ「ありがとう」も言えていないのに。

「コクア!」

 小さくなる背中に向けて駆けだそうとする。彼岸花をかき分けていく。

「ありが――」

 コクアの姿が揺らぎ、光は風にさらわれて消えた。

「あっ……」

 花の中に立ち尽くす。

コクアが踏み分けた彼岸花は何事もなかったように咲いている。どこにも、ここにコクアがいた跡は残らない。姿を探そうと目が泳いだ。

行ってしまった。

「鈴音。お前もそろそろ外に出る時だよ」

 背中に暁の声がかかる。振り向いて見た三人の姿がぼやけていて、私は自分が泣いていることに気づいた。

 光を放ちはじめた手の甲で乱暴に目元を拭う。

「嫌だ……。みんなと離れたくない。寂しい。ずっとここにいたいよ」

「外」に出る。帰る。帰ることについての恐怖感は嘘のように消えていた。

けれど「外」に出るということは、物理的な現実に帰るということ。今はただ、みんなと離れることが――こうやって顔を合わせられなくなることが、悲しい。

久々に感じた素直な悲しみは、久しぶりだからこそ大きくて、対応の仕方が分からない。

「大丈夫、寂しい気分にひたっているだけさ」

 暁は晴れやかに言って、手を引いて私を三人のもとへ連れ戻してくれた。

そしてまっすぐに私の目を見つめる。

「私たちは、今まで一度も離れたことなどない。今まで顔を合わせたことがなかっただけだ。これで私たちの姿が、私たちの気配が分かっただろう? 外の世界へ出かけていって、『しるし』を探せ。私たちはありとあらゆる方法で、お前のそばにいることを伝えよう」

 それでどうだ? とばかりに眉を上げる。みんなと離れるわけじゃない。ただ出会う形が変わるだけ。そう捉えれば、少し心の空虚がやわらぐ気がする。

 涙をぬぐう。改めて三人の顔をしっかり目に焼き付けようとした。

「皆ありがとう。私……やってみる。みんなに思い出させてもらったことを大切にする。私の、私だけの生き方を見つける」

「その意気だよ」

 クーガが頷いた。

 強い風が吹く。私だけが大きくあおられて、体が光に包まれていくのに気づく。もうすぐ別れの瞬間が来てしまう。寂しいけれど、寂しさはみんなを好きだと思うことの表れだと思う。私はクーガが、暁が、フィーリオスが、そしてディーバが好きだ。この世界を、私の心を大切にしたい。この気持ちを私の新しい始まりにしよう。

「鈴音」

 光が強まる中、クーガが私の名前を呼ぶ。握手を求めるように手を差し出している。惹きつけられるように手を伸ばした。差し出した右手が、クーガの両手に温かく包まれる。

 ぎゅっと力がこもった。

「この手は約束の証だよ。いつでもこの手を見た時は、僕たちがそばにいることを思い出せるように」

 光が眩(まぶ)しくなる。もう目を開けていられないほど。暁とフィーリオスの手が重ねられ、手が重みと温かさを増した。光が視界をおおっていく。クーガの声が耳に届いたのか心に響いたのか、もう判然としなかった。

「――行ってらっしゃい」

 また強い風。視界が光にくらんだ。手を握られた感触だけが残っている。光の中を浮いて漂う。

 真っ白な世界。それとも、これは瞼越しに見る太陽の光かな。

 体が密度を増して、柔らかく沈んでいく。クーガたちの手の感触が消えた。

 代わりに感じたのは、ざらついた布団の手触り。鼻に消毒薬の臭いが刺さった。

 規則正しい心電図の音。

 ゆっくり吸って、ゆっくり吐いて。

 はあっと息を吐き出すと、布団が胸の上で上下した。

 目を開ける。風が病室の白いカーテンを揺らしていた。窓の向こうでは、鮮やかな新緑の葉が擦れて音を立てている。

 ディーバも、また緑に包まれているといいな。

「あっ……わ、若宮さん!」

 初めて聞く女の人の声。動かせる範囲で首をめぐらせると、看護師さんが私を凝視していた。

 驚いた顔がなんだかおかしい。理性が止める間もなく、抑えきれなかった笑みが口にこぼれる。久しぶりに動かす顔はこわばっていた。慣れるのに少しかかるかもしれないな。

「先生を呼んできます!」

 叫ぶように言って、看護師さんが病室を飛び出していった。私は焦るでもなく、のんびり次の展開を待つ。心はものすごく軽かった。

 あの重苦しい気持ちは、私の心のどこを探してもない。今の私に沈んでいる暇はなかった。心の中では新しいひらめきが次々に湧いて、いてもたってもいられないくらい。

 そのひらめきのひとつひとつ。わくわくする感情の連なりが。これが、私の人生なんだ。せっかくならうんと楽しいことを――私たちがやりたいと思えることを全部やろう。

 フィーリオスが私をにやりと笑わせた。

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