仲間が消えた理由『プーと大人になった僕』をスピ考察
プーが目を覚ますと、100エーカーの森から他の友達がいなくなっていました。
それに、森には深い深い霧。
どうしてこんなことになってしまったのでしょうか?
結論から書いてしまうと、これはクリストファー・ロビンの記憶や心に影響を受けてのものだと感じています。
さらに言えば、森からプーの友達がいなくなってしまったことも、クリストファー・ロビンの記憶によって起きた出来事です。
映画の描写の中で、少しずつプーの出番が減っていくことに気づきました。
サセックス州のコテージを後にして寄宿学校に出発する時、慌ただしく荷物をまとめるクリストファー・ロビンと、
それに対比して、彼の家の前で待つプーの姿が描かれました。
プーの隣には、ピグレットの姿も。
寄宿学校に入り、授業中にプーの絵を描いて怒られている頃、100エーカーの森では、プーがひとりでクリストファーの帰りを待っています。森はちょっと霧っぽい。
そしてクリストファーの父の葬儀の時、100エーカーの森には、クリストファーの帰りを待つ者が誰もいなくなってしまっていました。
ドアは閉じられたままで、草がドアを覆い隠しそうです。
そしてその後、クリストファーがイヴリンと出会ったり、戦争で戦ったりしている時あたりになると、もう100エーカーの森の描写はなくなっていきます。
これはきっと、クリストファー・ロビンの記憶から、子ども時代の思い出が消えている
あるいは、もう楽しいことに浸っている場合じゃない、もっと現実的で責任ある生き方をしなくちゃと、自分の心を押し込めていることを表しているのではないでしょうか?
それに連動するように、プーが久しぶりにスクリーンの中に登場した時というのは、クリストファー・ロビンがマデリンの置手紙を目にした時でした。
手紙と一緒に置かれていたのは、プーとクリストファー・ロビンが描かれたもの。ここでクリストファー・ロビンは、かつてプーと一緒に楽しく遊んでいたことを思い出したのでしょう。
だからこそ、プーが目を覚ましたのです。
そして久しぶりに起きたものだから、体操するにも動きはぎこちないし、棚のはちみつはない。
さらに、クリストファーがこの時思い出したのはプーだけなので、ピグレットやイーヨーなど、他の友達はどこにもおらず、100エーカーの森は霧に包まれて見通しが悪いのでした。
別の映画「インサイド・ヘッド」や「リメンバー・ミー」、「ライトニング・リターンズ(FF13)」でも描かれていましたが……。
人間がある人や存在を忘れてしまうと、そのものの存在自体が消えてしまうことがあるようです。生命は記憶によって繋がっているのですね。
誰か、何かのことを忘れてしまうと、それが失われてしまう。もとからいなかったことになってしまう。
それが、100エーカーの森でも起こったように見えました。
ただし、記憶が完全になくなることはなく、私たちのハイヤーセルフや魂と呼ばれるものは、起こった出来事や経験を(本当は前世の分まで)覚えているもの。
いつでも思い出すことができます。
だから、森にはピグレットたちが戻り、元通り天気も明るくなったのでしょうね。
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