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解離の自覚の中に埋もれたスキル

直也です。

僕たちは解離している。
11~13人のパーツたちで協力しながらここまで生き延びてきた。

それを自覚できたことを僕たちはポジティブに捉えている。
自分たちの行動原理に理由を見出せることは安心材料だし、「では、この先どうしていけば僕たち全員が生きやすくなるか」を考えることにも進めるから。

パーツたちの利害が知らぬ間に対立してしまい自己矛盾に苦しむことや、亜麻の持ち物を「監理者」が勝手に捨ててしまうという出来事も起こらなくなり、僕たちは僕たちが生きやすい在り方を発見しつつある。
興味の幅はむしろ広がったし、健康に食事を摂れる機会も増えてきた。

一方で、「そういえば、あれが苦手になったな」と思うことも存在する。


そのうちのひとつは「タイトルと見出しの名付け」である。


一時期、ウェブライティングに高い関心を持っていて、「読まれるタイトルの付け方」「見出し分けの方法」などを勉強していた。

僕たちはもともとそういうフレーズを考えるのが得意で、中学生の頃生徒会では「毎月掲げる目標を考える係」だったりしたほどだ。
これは正式な役職ではないが、話し合いの際に大抵僕たちが考えた案が採用になるため、「今月はどうしようか!」と主に僕にアイデアを求める風潮が出来上がっていったことに由来する。

こういう言い方が正しいかは分からないが、「語感の良いフレーズ」を思いつく力は昔からあったのだと思う。

そんな僕が、SEOからの発展で「ウェブ上で読まれやすいタイトル」に興味を持った。

見切れても概要が分かるように、大事なことはタイトルの最初に持ってくるとか、
長すぎるとこれまた見切れるので30~40字くらいでつけるのが良いとか。
いろいろためになることが分かった。

またパターンを見つけるのも得意なので、いろいろな人の書いた記事を読み、「良さそうな見出し分けとそのフレーズ」も把握したつもりだ。

このタイトルと見出し分けのスキルは僕たちのみならず、ホームページを作り始めた知り合いにも頼られるなど役に立つものだった。


……のだが。

僕たちが個別に記事を書きはじめてしばらく経った頃、急に「上手いタイトルと見出しを考える能力」が失われていることに気がついた。

なぜこんなことが起こったのかは、分からない。

ある時「なんか良いタイトルが浮かばないな」と下書きの手が止まり。
別の時に「どこで見出し分けしたら良いか分からないな、なんていう見出しにしたら良いか分からないな」と思いはじめた。


以来、突然タイトルはぎこちないものになり、僕たちの記事から見出しが減っていった。

お暇な方は僕たちの過去のnoteを見返してもらうと、変化が分かるかもしれない。


伝わるか分からないが、なぜか、本当に、もうあれはできないのだ。

本で習得したことは覚えている。
前述したような「要点を先に」とか「30~40字以内がベター」とか。

肝心なのは、「そのポイントを踏まえた良いタイトルがパッと浮かんだ、あのひらめき」が消え去ってしまったこと。

以前はごく自然に「ポイントを押さえたタイトル」が、ほとんどそのまま使って良いくらいの完成度で浮かんできていたのに、
今の僕たちはポイントを守ろうとすると、ひどく窮屈な気持ちで何も浮かばなくなってしまう。

不思議なこともあるものだと思う。


ある時からはもういさぎよく諦めて、ポイントを押さえたタイトルをつけることそのものを目指さないことにしてしまった。
時に、タイトルが思いつかないせいで記事が投稿できないこともあるけれど(適当なタイトルをひねりだすことにしている)、この世が終わるほどの不便でもない。

折々に「あれはなんだったんだろうな」と思うだけである。




直也

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