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なぜ「結婚したよ」に「おめでとう」を言うのか?

尊敬している友達が結婚するらしい! という嬉しい知らせを聞いて、数人で集まってお祝いをしました。

不思議な縁で仲が続いている私たちは、年齢も普段やっていることも違うのに、集まれば話が弾む楽しい関係。

その中に物事をたくさん考える人がいるのですが、僕が「結婚おめでとう!」と言ったとき、首を傾げてこんなふうに言いました。


「友達の結婚が嬉しくないわけじゃもちろんないんだけど。なんで人って誰かが結婚した時に『おめでとう』って言うんだろうね? 何に対しての『おめでとう』なの?」


言われてみれば、確かに。

ちょっと考えたあと、僕が自分の考えたことを話したら深く納得してくれたような反応がもらえて嬉しかったです。

僕は

「あくまで僕は、ですけど。大事な友達が『この人と一生一緒にいたいな』『長く一緒にいたいな』と思えるくらい大事な人を見つけた、ということについて、めでたいな、よかったなと思いますね」

と言いました。


ありがたかったのは、友達に僕の考えを話すことによって、僕自身も自分の考えていることを整理し言語化する機会を得られたということ。

その友達が口に出した疑問をね、僕も考えたことがあったからです。

確かに結婚という制度は社会契約や法制度上のものといえばそれまでで、国が変われば何人妻が持てるかも変わります。実は流動的なものですよね。

けれどもどこか一つの社会に身を置くと、「結婚」という行為が崇高だったり、一度関係を結んだら決して解消できないものだったり……多様な扱われ方をされている。

なんの疑問も抱かず、半ば自動的に、コミュニケーションの定型として「おめでとう」を言うのは簡単だけど、そこで一瞬立ち止まり「どうしてそういう定型があるんだろう?」と考える面白さ。


自分の中でなんとなく消化して終わらせていたことを、改めて考えるきっかけをもらえて楽しかったです。


僕たちが普段「そうするものだから」って無意識の流れにしている行動って、一度「なんでだろう」って考え出すと面白いですよね。

それこそ子供の頃に戻ったみたいに、「そういえば、あれはなんで? これはどうして?」とたくさんの疑問が身の回りに転がっていることに気づく。


同時に思い知るのは、いちいちそれらについて考えていると頭がめちゃくちゃ疲れるということです。

人間の脳は不要な情報は認識しないようにして、オーバーフローに陥るのを防いでいると言います。

社会的なやり取りの定型化は、その脳の作用と同じものかもしれません。
いちいち考えず決まった型に沿うことで、「考える」と言うエネルギーを消費する行動をスキップできます。

そこで節約したエネルギーは、他の仕事や考え事、大事な何かに振り分けることができるでしょう。


一方で定型化は「思考停止」と紙一重だとも思います。

「気づいたら戦争が始まっていた」という証言が多くなされているように、脳の省エネは周りの状況を感知するセンサーを鈍らせることなのかも。

時々立ち止まって「そもそもこれって……」と思考を巡らせることは、小さな疑問の解決のみならず、もっと大きな流れに乗るか乗らないかを判断するための能力にもつながっているかもしれませんね。


その友達は疑問を思うまま口にした後「面倒臭い人でごめんね」と謝りました。
私も、結婚する友達も、全然面倒だとは感じなくて。

むしろ「そういうものだから」に流されず、疑問をきちんと口にできる友達がかっこいいな、すごいなと思っていたのでした。


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