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アラフィフになって考えること



アラフィフになり
人生後半にさしかかって
『私って、、、なんなの』
と、何もない自分に気づきました。
母親である以外
なんの肩書きもない
ただのひと。

21年前に結婚し
子どもを3人産み
夫の転勤で関西から東京へ
そして九州の福岡へ
長女の高校受験をきっかけに
私と子どもたちだけで
地元へ帰りました。

その間、ずっと専業主婦。
育児と家事だけをしてきました。
子どもの成長や学校行事
ママ友との交流
いわゆる、母親業をしてきました。
ありがたいことに
なにも疑問もなく
ただただ突っ走ってきました。

そして、長女が大学生、そして成人し
次女が高校生
三女が中学生
になった時に
ふと、胸の中でモヤモヤしたものを感じ
だけど、言葉にできなくて
なんだろう?この気持ちはなんだろう?
と、ずっと心の片隅で燻っている
感情がありました。

子育てをしていく中で
子どもから投げつけられる
忖度なしのストレートな言葉
忘れられずにいまだに
わたしの中にあったり

なにげなく話した夫婦の会話
の中での言葉

もやもや
もやもや
ずっともやもやしていて

そのもやもやの根本の問題
がこの本には書いてあった
〃母親になって後悔している〃
(タイトルだけ見ると
なんてひどいことを!とか
最低な母親がいるもんだ!とか
母親のくせに、とか
そういう事を言う人がいると思うけど
最後までちゃんと読んでほしい。
当たり前の、みんなの当たり前を
いったんどこかへ置いといて
まっさらの気持ちで読んでほしい)

読んでいくうちに
胸が苦しくなってきて
泣けてきて

何度も何度も繰り返し読みました。
母親には
大きな声で言ってはいけない
言葉がある

言葉にできなかった
あのもやもやが
ここに書いてあった、と。

アンビバレンスな感情を持ったまま
わたしは
一生母親であり続けなければならない

そして自分の娘たちにも
その思いを話し
大人として話し合い
娘たちが自分で選んで
人生を決めていって欲しい

そう思いました。

みんなに
読んでほしい。
母親になる前に
みんなに読んでほしい

誰かの親になると
親でなかった自分には絶対戻れないから


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