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この写真のどこかに私もいた!

 他の方の写真だし、多分著作権もあるだろうから、直接ここに掲載できないのが残念なのですが、先日、SNSを眺めていたら、あれ?という昔の写真が目に飛び込んできました。

 1984年の夏、長野県で行われたアジア・カンタート in 長野。世界の合唱団が日本でミュージックキャンプを開催。ワークショップで課題曲を歌いあったり、コンサートを開いたり、アジアでは初めて開催された世界合唱祭でした。

 その時の市内をパレードした写真が、世界合唱連合の40周年記念の写真集の中に出てきたのです。

 (世界合唱連合も1982年設立とのことで、あの時はまだ設立2年後だったのかと改めて驚きました。)

 歳がバレてしまうけど、その時の私はちょうど社会人になったばかり。学生時代は合唱に打ち込み、外国の合唱団の人と歌えるのは面白そうだという軽い気持ちで、個人で参加しました。

 この5日間の経験が、それまでの私の合唱の世界を大きく広げ、「合唱観が180度変わった」とさえ思えるほどの経験になったのです。

 コンクールや全国大会を目指すような活動はしていなかったものの、学校でのたたき上げるような練習の末の合唱しか知らなかった私が、明るくのびのびと「自分たちの歌」を歌う海外の合唱団の人たちの姿に、合唱って私が知っていた世界よりもずっと広くて深くて豊かなんだと思った経験。海外からの合唱人と隣り合わせで同じ歌を歌い、同じようなところでうまくいかずに苦笑いしあったり、一緒にバスで移動する時には言葉はわからないけれど、多分同じように仲間とふざけ合って笑い合っている、同じ人間なのだと肌で感じた時間。

 あのパレードの写真を見て、その時のことを思い出しました。

 あのパレードの中に私もいたはず。個人参加で出会い、善光寺の宿坊に雑魚寝した仲間たちと勝手に合唱団を作って、野外コンサートに飛び入り参加してしまった私たち。確かあの仲間たちと一緒に歩いたと思う。

 もう40年近く経っているのですね。その時のメンバーには残念ながらすでにこの世を去っている方もいます。

 私はそれから世界のいろいろな合唱を少しでもその人たちの日常の生活に近いところで感じてみたくて、合唱遊学までは果たせなかったものの、海外の合唱祭やシンポジウムに指導者でもハイアマチュアと言われるようなトップシンガーでもないのに参加してみたりしました。

 年を重ねて、今は少し方向の違うことをやっていて、「合唱団」とは縁遠くなってしまっているけれど、やっぱりあの「アジカン」に参加したことは私の一つの原点であり、ターニングポイントだった。そのことを思い出させてくれました。

 少し前までは、海外に行くことも、いろいろな人が直接交流することも当時から見ればずっと盛んになってきて、今の若い人はいいなあと思っていました。

 ここ数年はこんな状況で直接交流することができない状態だけれど、やっぱり、自分の肌で直接感じる体験ってすごく大切だと思います。

 「元に戻る」ことが全てではないけれど、人が直接交流できる場はまた作れるようになることを心から祈ります。

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