プロレス語り①アントニオ猪木

プロレスをいつから見始めたか・・・

それは分かりません。

父親が好きでずっと見ていたから

一緒に見ていた。

もしくは流し見していた。

そんな感じだったと思います。

はっきりした最初の記憶は佐山さんの

初代タイガーマスクに熱狂した時期になるのかなと。

猪木ーアリ戦は2歳7か月だったので

さすがに覚えていません。

プロレスを見ない母親が見ていて覚えているそうなので、

見ているとは思いますが

流石に2歳では覚えていません笑

初代タイガーマスク以降は気にしながら

観ていた感じですかね。

コブラとか

マシン軍団とか

ジャイアント・マシンとか笑

それが本格的にハマり、

元々プロレスが好きだった親父を

プロレス好き度で追い越すまでになる

きっかけは

タイガーマスクが新日からいなくなり、

長州ら維新軍団が全日に行ってしまい、

選手がいなくなった時に行われた

猪木ー藤波戦です(1985.0919 東京体育館)

これが良い試合だったんですよねー

年末のタッグリーグでは

ブロディ&スヌーカのボイコットで生まれた

猪木&坂口vs藤波&木村健吾での

ドラゴンスープレックスで藤波さんが猪木さんにフォール勝ちもあったりで

本格的にプロレスにハマり始めました。

そして、

それに合わせるかのようにUWFが

新日に参戦してきて

どっぷりハマりました。

藤波さんと

前田さんをはじめとした

UWFが好きだったんで、

猪木さんはどちらかというと

推してはおらず、

弟子の方に気がいってた感じでした。

見始めた時期が全盛期ではなく

下り坂に入った時期だったので

無理はないかなと思います。

しかもUWFが入ってきて

猪木さんにUWFに行くと言って

行かなかったことで

裏切られた形の前田さんが

「アントニオ猪木なら何をやっても許されるのか!」

という名言を吐かれるものですから

ヒールではないけど、

ヒールに近いような形で

猪木さんを見ていたかもしれません。

でも、新日を設立したトップであり、

たくさんの強豪を倒してきた

日本プロレス界のエースであり

スーパースター

自分の中でヒールだけど、

誇るべきトップという

2つの側面があったかなと思います。

猪木さん自身に

1発当ててやるといった感があって

色んなものに手を出し、

周囲も巻き込んだことで、

酷い目にあったという人も多数います。

新間寿さんが

「闘魂とは人の誠意を踏みにじること」

と発言するほど。

そういう意味で酷い人という

イメージもありました。

でも、

なんだかんだで

前田日明も藤波辰爾も佐山聡も

新日本プロレスも

総合格闘技も

アントニオ猪木いてこそだったんです。

誰かを通して

いつもアントニオ猪木を

見ていたのかもしれません。

そんなアントニオ猪木さんが

先日亡くなりました。

日本のプロレスファンの喪失感は

相当のものだったと思います。

僕も

猪木信者というわけではなかったはずなのに

相当の喪失感がありました。

やっぱりアントニオ猪木

あってこそだったんですね。

そのことに気付かされました。

日本プロレスの上層部の金回りに

疑問を抱き、

調査を始めたところ、

仲間にリークされ、

日本プロレスを追い出され、

新日本プロレスを作り、

すぐ崩壊するだろうと言われていたのが

今年で50周年。

業界トップにもなりました。

奇しくもその50周年に

猪木さんが亡くなりました。

新日本プロレスとは何か?

アントニオ猪木とは何だったのか?

しばらく考えてしまそうな気がします。


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