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2021/09/22

にゃんたこさんのエッセイ「世界は救えないけど豚の角煮は作れる」を読了した。
細かい感想は今までに何度か綴ってきたけど、本当に面白かった。
今までに読んできたエッセイの中では1番私たち一般人に近い人だと思うし、1番「ダメ人間」なのかなと思う。(サムネイルの本の写真にわざと色んなものを紛れ込ませたのはその「ダメ」を表現したかったからなんだけど、上手くできないなあ。)
でもその「ダメ人間」の姿故に。
描かれるそのなんでもない等身大な姿故に、私はこの本に魅せられた。
言い方は悪いけれど、私はこの本の「ダメさ」に心惹かれ、そしてその奥で息をしていたキラキラした花に、虜にされた。

昨日読んだのは短編「沈む熊」と「おわりに」だ。
「沈む熊」の方は、何も感じなかった。
感動を覚えなかったという事ではなくて、エッセイの中でも言われていたように「なんの意味もなく始まってなんの意味もなく終わる」という感じがした。
けれど、今まで断れなかった主人公は、最後にはちゃんと断ることができた。
超常的な日々の中で、はっきりと露骨に描写されたわけではないけれど、光る石ころを拾い上げた部分から、豆子さんの気の強い生き方が少し主人公にも取り入れられたんだなと思う。

「おわりに」は見開き1ページだった。
出版日が決まった日にピアスを開けたという話。
そのピアスの穴が痛いそうで、だけどそれに触れるとその日のことを鮮明に思い出せるらしい。
左ページの最後の問いかけが、とても印象に残った。

 忘れないために痛んでいたい。自ら傷をつけてでも、自ら穴を開けてでも、忘れないために痛んでいたい。腫れたり膿んだりを繰り返して、かさぶたを作って剥がしてを繰り返して、そうやってずっと痛んでいたい。
 大事にしたいものはありますか。消したくない言葉はありますか。失くしたくない誰かがいますか。その全てを忘れないためだけに痛みを感じていたいと思うのは、気持ちの悪いことでしょうか。

痛みは記憶。
その通りだ。
喉元過ぎれば熱さを忘れると言うように。
自傷してでも忘れたくない痛みがあってもいいんだなと思った。

その考えに、私は少し救われた。

世界は救えないけど豚の角煮は作れる。
このエッセイに、にゃんたこさんという人に巡り合えてよかった。
私も豚の角煮作れるようになりたいな。


今日は数学IIBを2回解いた。
思ったより劣化していない。
ちゃんと誘導にも乗れる。
三角関数を除いて。
もう完全にご無沙汰していたから、ほとんどわからなかった。
なかなかまずい。
講師資格試験当日に頭が真っ白になったらどうしようもない。
カンでも思い出せるくらいに演習するのは不可能なので、理屈だけでも理解しておかなくちゃ。
三角関数の合成、それも完成形がsinじゃなくてcosの方なんて化石化してたよ。


明日はまたしてもおでかけ。
もう何回あっているかわからない友人S、会うのは1年ぶりの友人T、そして会いたくない人。
正直なところパスしたい。
3人で出かけたい。
けれど、私がその会いたくない人に奢る約束をしてしまっているので、会うほかない。

あ~。
もう何回「あ~。」と言ったかわからない。
雪見だいふくを食べているときでさえ「あ~。」と言っていた。
本当に嫌だ。
なるべく早く切り上げたい。
でも1年ぶりに会える友人と会うのはとても楽しみ。
ジレンマ。
あ~。
あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~あ~。
行きたくない。
さっさと約束を済ませたら、しばらくは会いたくないな。

わかっている。
なんにせよ、明日は乗り切らなきゃならない。
約束はちゃんと果たさなきゃいけない。
結局行かなくてもさらに先延ばしになるだけだ。
「あの人は約束を先延ばしにした挙句反故にする」という噂が立てばこの先のキャンパスライフは始まってない間に終わりを迎える。
それよりは明日一時的に心が死ぬのは安い。
土曜日は講師資格試験本番で、その日はまた別の友人に会える。
その対価と捉えよう。

神さま、手前勝手の極みとは承知しております。
ですが私頑張りますので、どうかご覧になっていてください。
神頼みはあまり好きじゃない、祈れば両手が塞がるから。
でも今回は神頼みでも何でもしよう。
そうやって感情をいつも以上に慎重にコントロールしなくちゃ。



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