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脱絶滅は、正義か
タンザニアのウズングワ山塊の奥地に、乾期も水量が落ちない滝があった。極度の電力不足に悩まされているタンザニア政府にとって、この滝は水力発電の建設プロジェクトの候補地として申し分なかった。しかし、その滝には、その滝にしか生息していないカエルがいた。
実際、当時のタンザニアでは、電力不足による弊害で、多くの子供や老人が亡くなっていたという。確かに、一種類のカエルの種を存続させるために、発電量が制限され国民に電力が行き渡らないこと、そこに倫理的な妥当性は用意できない。
政策的な意思決定の検討事項に、哲学が入り込む余地はない。政治と経済のによる合理性。どの哲学も、ある点では正しく、ある点では不完全だ。
この本は、そうしたわずかな隙間に入り込もうと奮闘する研究者のドキュメンタリーと言える。
最後に、前書きから引用する。
生物多様性が謳われて久しい。そして今後は、多様性維持の配慮が、国際NGOや金融機関の働きかけにより、さらに求められるようになるだろう。しかし、脱炭素に伴う石炭火力発電所の停止によって、結果的に人々の生命維持を脅かしかねない電力不足を招きうるという例に、生物多様性も漏れないだろう。単に「一般に善とされていること」をすることが、絶対的に良いことなのか。人新世の判断には、必ずジレンマと天秤があることを思い知らされる。