『超擬態人間』から学ぶ“情報の出し入れ”術

私じぇれのnoteでは、しばしば“情報の出し入れ”というフレーズを使ってきました。その重要性を学ぶのに最適な作品がソフト化&配信されたので、今日は徹底的に解説していきます。

その作品は藤井秀剛脚本・監督作品『超擬態人間』。前作『狂覗』同様、メタファー満載の社会派ジャンル映画に仕上がっており、ブリュッセル国際ファンタスティック映画祭ではアジア部門グランプリにも輝きました。

2020年10月に劇場公開されると、『悪魔のいけにえ』を彷彿とさせるゴア描写にホラーファンが熱狂!また、眩惑的なプロットから浮かび上がる硬派な社会批評性に魅了される映画ファンも続出!しかしその一方で、「難解すぎてわからない」という意見もちらほら。そんな声を受けてわかりやすくするために作られたのが、今回ソフト化されたディレクターズ・カット(以下DC版と表記)です。

劇場公開版とDC版の相違点は3つ。すべて劇場公開版に追加される形でDC版は成立しています。

《DC版追加シーン》
①冒頭のテロップ(藤井監督からのメッセージ)
②研究所モニタールーム 0:21:15~0:24:15
③主人公 in 竹藪 1:11:10~1:12:00

これら3ヶ所が追加されても、ストーリーには何も変化がありません。もう1つの異なる結末が提示されるわけでもありません。鑑賞者の心理をコントロールする方法を微修正したことが、ソフト化されたDC版の特徴と言えるでしょう。

そこで、脚本術を学んでいる皆さんには、1つ提案があります。まだ『超擬態人間』を観たことがない方は、まずは難解と評された劇場公開版を擬似体験してみませんか?

方法は簡単。①のテロップは読まずに早送りして下さい。次に、0:21:15になったら②(女性の研究者が出ているシーン)を約3分間早送りして下さい。③は情感を深める目的で追加されたシーンなので、早送りせずに観ていただいて構いません。

こうして劇場公開版を擬似体験したら、DC版をそのまま全編続けて観て下さい。(追加シーン②だけを観るのではなく、そのまま最後まで観て、ご自身の心理の変化を掴んで下さい)

では、これより先は、(擬似)劇場公開版とDC版を観ている前提で、“情報の出し入れ”について説明していきます。


以降『超擬態人間』ネタバレあり


いかがでしたか? 序盤は2つのプロットが平行して描かれていましたね。森の中で目覚めた親子と結婚式場の見学に訪れた人々。彼らの物語が立ち入り禁止エリアの古民家で交わり、惨劇が加速していきます。

そこで問題となるのが、タイトルにもなっている【擬態】。
劇場公開版では、研究所から逃げ出した風摩の正体が明かされぬまま進んでいきます。すると、古民家で簑を羽織った状態で休んでいたはずの風摩が、突然普通の部屋にいて頭にハテナマークが浮かびます。これは回想なのか?はたまた大胆に時間経過が行われた現在なのか?

そう、DC版追加シーン②の情報を知らされていない観客は、初登場の光武博士の狙いもわからぬまま、そして既に【擬態】が始まっていることにも気づかぬまま、必死に頭を働かせることになります。

この混乱がそのまま主人公・風摩の混乱と重なり、怒涛の展開にくらいついていきながら事態を呑み込むことを余儀なくされます。

初見時、私はこの混沌とした物語の疾走にアドレナリンが大量分泌!目の前の惨劇におののきながらも、随所に散りばめられたピースを必死に組み合わせていきました。混乱をよりしろとした主人公とのシンクロ。頭をフル回転させる疲労感。ゆえにカチリとパズルが完成した瞬間の興奮といったら!

しかし前述の通り、劇場公開版は少なからず脱落者を生んでしまいました。理由は簡単で、近年の日本映画が丁寧すぎるからなんですね。何から何まで説明するのが一般的。作品の核である【擬態】が起きたことを説明せずに物語を進めるなんて、メジャー作品ではまず許されないことです。そういう親切な作品を見慣れた方々が、「なんじゃこりゃ」と驚くのも無理はありません。実は必要なピースは最低限揃っている、端正なミステリーなんですけどね。

というわけで、DC版には②を追加し、息子が父親に【擬態】して研究所を逃げ出したことを早い段階で明確にしたわけです。この情報さえ得てしまえば、父親に【擬態】した息子が次に誰に【擬態】するのかを把握するのは容易。物語をしっかり把握しながら、恐怖シーンを楽しむ余裕も出たはずです。つまり、ミステリー成分が薄れるかわりに、純度が高いホラー映画へと変貌したのです。

このように、全く同じ物語であるにも関わらず、②の情報が提示されるか否かで、観客がその後どのように頭を動かしていくのかが全く変わってくるんですね。それは結果的に、観客の感情の動きをも支配していくわけです。

そう!プロットを構築する際、何が起きるかといったストーリー自体も大事ですが、それ以上に“情報の出し入れ”のタイミングが肝なんです。観客に「いつ」「どんな」情報を与えるかをコントロールすることで、同じストーリーでも面白さのベクトルが変わりますから。2つのバージョンの『超擬態人間』を体験した皆さんは、もうわかっていただけますね?

最後になりますが、『超擬態人間』は[ジャンル映画らしい荒唐無稽な面白さ]と[社会派テーマの問題提起]を両立させたという点でも特筆すべき作品です。その点において、フレンチスリラーの奇才パスカル・ロジェ監督の『マーターズ』や『ゴーストランドの惨劇』に匹敵するといっても、決して過言ではないでしょう。せっかくですから、重層的なプロットを徹底研究してみて下さい。きっと今後の創作修行に役立ちますよ!

☆レンタル版DVDにも監督コメンタリやリモート登壇映像が収録されています。それらを観ていただくと、監督の狙いもより明確になるかと思います。非常に勉強になる内容ですので、本編だけではなく、これらも参考にして下さい。

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※不定期ですが、週1を目安に更新していきたいと考えています。暫くは体系的に書くのではなく、何かの作品を観て思いついたテーマについて記す予定です。扱ってほしいテーマがある場合は、コメントをいただければできる限りお応えします。

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