鶴橋であにょはせよ。

私の旦那は韓国人である。

出会いはとても簡単で分かりやすくて、公務員になった今では、あまり話したくない出会い方である。

「鶴橋でバイトしていた旦那を見た瞬間友達になりたくて店に通ってラインのIDを渡したら連絡がきて友達になった。そこから、なんやかんやで付き合った。留学生っていうのは後になって知ったなぁ。」

それを要約すると、

「あー、向こうが留学生中にバイト先で出会ったんです。」おわり。私はいつもこれを職場で言っている。大学生の時だったのでガッツがあった。今はない。

出会ったときに、自己紹介で誕生日を教えあった。私が12月9日。旦那が12月10日だった。「うわぁ、一日違い!」と言うと、向こうからはどうでも良さそうな反応が返ってきた。そこから、5年後に腐れ縁もあって付き合うことになった。旦那は私の誕生日を忘れていたので伝えたら、「え、待って!運命じゃない⁉」とキラキラ返答が返ってきた。(おまえ、、、このやろう。)と思った。そのリアクション5年前に私がやったわ。

鶴橋で会ってからは2年間は友達だった。今里に住んでいる旦那が暇だからと私が住んでいるところまで4時間掛けて自転車をこいできた。(やべぇ奴じゃん。)と思った。ちゃんぽんや回転寿司を食べて解散するのがルーティンだった。旦那も若くてガッツがあったのだ。今はない。

韓国に帰ると決まった日にカラオケで遊んだ。『ひまわりの約束』のイントロが流れると、ドラえもんの声真似で「もう、さよならなんだ」と言われた。その時はじめて(めっちゃ面白い人だったよな。)とさみしく思った。

そこから3年間はたまにラインをするだけだった。旦那と付き合う1年前に私はもう一度大学に1年入学していた。そこで、「恋人はいるのか」と話になりなんとなく「韓国の人と付き合っていたけど、韓国に帰ってしまった。彼は、ヒマワリの約束がうまくってねぇ…」といい女のように語っていた。嘘だ。

そこから1年間は、『元カレが韓国人の女』になった。たまに設定を忘れて、話を振られると「なんの話をしているんだ」と思う時もあった。卒業式の日に、「合唱部からの歌の贈り物です」という司会者の言葉とともに、ひまわりの約束が流れた。みんな笑った。私も笑った。

次の日、久しぶりにラインが来た。「韓国に帰ったけど、付き合わない?」と。(まぁ、この1年間、私の中であなたは元カレだったよ)と思いながら、「ぜひにぃ~」と返答をした。

そこから1年は日本と韓国で遠距離恋愛をしたり、喧嘩をしたり、仲直りをしたり一通りの行事を経験した。旦那の家族とは仲良くさせてもらっている。韓国に行くと旦那の実家に泊まりサムギョプサルを食べる。旦那の家族は日本語ができない。私も少しの韓国語ならわかる具合なのだが、旦那の父が、「これはね、コチュだよ。辛いんだよ。」と教えてくれた。いいお義父さんである。

旦那は日本に来てくれた。くしゃみは大きいし、いつも歯ブラシをするときに舌の奥まで磨こうとするから「おぇえええ」とうるさいし、昔みたいなガッツが2人ともなくなったけど、それでも鶴橋で出会ってから変わりはない。

この前、お義母さんから電話が来た。コロナの影響で猫を韓国から連れてこれなくなったので旦那の実家で面倒を見てもらっている。

「猫なんだけどね。お母さんの実家に預けようと思うよ。」と言い出した。旦那が「え、お母さんの実家って農業している村でしょ?」と聞くと、「そうだよ。そこでは誰かが適当に餌をあげてくれるし、自由に生きれる。」と言った。

とりあえず、今の願いはコロナが収束することを祈り、収束した際には、猫を迎えに行きたい。野良猫にさせる前に。ガッツを見せるときである。

#キナリ杯 #日韓夫婦

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