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カミングアウト〜私の場合〜後編②

前回は兄へのカミングアウトについて書きました。

今回は親へのカミングアウトです....!

母の誕生会に父、母、兄、従兄、私の5人が集まり、
(従姉カップルは少し遅れていました)
パーティーが始まりました。

兄とは事前に打ち合わせ、
打ち明けるタイミングは、はじめの方にすること、
(その後に質問攻めになった場合皆いれるように)
話は兄から振ってもらうこと、
変に重い空気にならないよう、なるべく
軽いテンションで伝えること、
などを決めていました。

自分ではどうしようもないことを伝えるだけで、
親も自分を愛してくれているのだから、
問題はないはずだと信じていました。

「従姉たちはまだだけど、パーティ始めよっか」

母の一言でみんな食べ始めます。
私は心臓がバクバクしてそれどころではなく、
兄の方をちらちら見ながら、
なんとか深呼吸をしている状態でした。

するとすぐに兄が「行けるか?」と
目で聞いてきました。
小さく頷いて、なんとか心を落ち着けようとします。

「大丈夫かな」
「ひどいことを言われないだろうか」
「やっぱり悲しませちゃうかも...」
「この場で言うことは本当にいい選択だったかな」

ぐるぐるぐるぐる、考えている間に兄が動きます。

「Jennyが言いたいことあるんだって。」

ひゅん、と心臓が凍る感覚がありました。
真夏なのに、冷や汗が背中を伝います。
手足も氷のように冷たいです。

「え、何?嫌な予感がする」

目が合うと、母が言いました。
目の奥の動揺は隠しきれていなかったようです。

言わなきゃ、言わなきゃ。
沈黙が長くなるほど深刻な空気になってしまう。

慌てて勇気をかき集め、
なるべく軽く、軽いトーンで、と言い聞かせて
口を開きます。

「実は、私、レズビアンでーす。」

片手を上げて、ちょっとおどけた表情で、
口調にも笑った感じを含めて。


あ、失敗した。。。。


すぐに分かりました。
父親の目には驚きと困惑、
母親の目には悲しみと怒りが浮かんでいます。

「そんなわけないでしょ?何言ってるの?」

母親が言います。

「信じたくなくても、そうなんだよね。」

「男の子とも付き合ってたじゃない。
 何かの間違いでしょ。信じられない。」

玄関のベルが鳴ります。
従姉カップルが到着したようです。

父はビールのグラスを持ってベランダに出ました。

母はカップルを家に招き入れた後、
何処かへ消えてしましました。

兄は母の様子を見てくる、と言い残して去ります。

後悔、不安、悲しみ、悔しさ、苦しさ、
いろんな感情がないまぜになり、
従姉達にいらっしゃいもうまく言えず、
俯いて、もとの席から動けずにいました。

「何があったの?」
従姉の質問に、従兄が答えてくれていました。

「やっぱりそういう反応だったか。」
従姉は予想していたようでした。

「あの言い方はなかったんじゃないか?」
従兄は私の言い回しを諫めていました。

言われなくても、ものすごく後悔していました。
胸がキューっと潰れそうでした。

雰囲気を変えようとしてくれたのか、
従兄が、レズビアンについてわからないことなど
質問を投げかけてきます。
ぽつぽつ答えながら、この後どうすればいいのか、
せっかくのパーティがとんでもないことになった...
と心ここにあらずの状態でした。

20分ほど経った頃、ベランダから父が帰ってきます。

何を言われるんだろう...と緊張して、
ちゃんと顔を見れませんでした。

「Jenny、いま外で色々考えてきたけど、
 Jennyがレズビアンだろうと、なんだろうと、
 僕とJennyの関係はひとつも変わらない。
 これまでも、これからも、Jennyは
 僕の娘で、ずっと変わらず愛しているよ。」

じわぁ。。。っと心が温まるのを感じました。
涙を浮かべながら、ありがとうと言いました。
愛に溢れた、素敵な父をもったなぁと
誇らしく思いました。

「マミーはどうしたの?」

父が聞きます。

「わからない。どこか行っちゃった。」

そこへ、兄が戻ってきます。

「Jenny、マミーが呼んでる。」

ひゅん、と冷たい心臓が戻ってきました。
まだ一番大きな壁が残っていた。。。

とぼとぼと兄について歩いて、
玄関まで連れて行かれました。

そこにはまるまったティッシュの山と、
ずっと泣いていたであろう母がいました。

「座って」

と促され、母の前にちょこんと座ります。

「気付いてあげられなくてごめんね」

泣きながら、母が謝ります。

謝られるのは予想外だったため、少し驚きながら
言葉を紡ぎます。

「言えなくて、隠してたからしょうがないよ。
 謝ることじゃない」

「どうして言えなかったの?
 Jennyは私になんでも話してくれるいい子のはず。
 自分はなんでも話しやすい母親だと思ってたのに。
 皆は知っていた様子だったのに、
 私だけ知らなかった。
 信じてくれてなかったってこと?
 ショックだな」

「孫の顔がみたいって言ってたから、
 確実に男の人を好きになれないってわかるまでは
 言わない方がいいと思ってた。
 自分でも確証が持てたのは最近なんだよ?」

「男の子とも付き合ってたじゃない。」

「あれはまだ好きになれるか試してたときだなぁ」

「男の子は選べないの?
 まだ好きになれる人に出会ってないだけじゃない?
 結婚して普通に暮らせた方が幸せじゃない。」

ズキズキ、心が痛むのを感じます。
(この日の私の心臓大変すぎますね…)

カミングアウトにあたって、SNSや記事などで
体験談を読み漁っていたので、
そういう言葉をかけられる覚悟はありました。
あったはずでした。
でも、心が痛むのは止められませんでした。

母にとっては知らない世界の話だから、
これまでの価値観があるんだから、
仕方のないことだと言い聞かせ、
正直なところを答えます。

「今の私は、男の人は選べない。
 心が動くのは、女の人にだけなんだ。
 この先、もしかしたら
 好きになれる男性も現れるかもしれないし、
 ずっと現れないかもしれない。」

「いつからそうだったの?」

「中2くらいからかな?」
そこから、今まで好きになった人のことや、
男の人と付き合った時の気持ちなど、
自分で飲み込むまでの流れをゆっくり説明しました。

母もだんだん落ち着いて聞いてくれます。

「じゃあ、孫の顔は見れないんだね?」

やっぱり。孫を産んでほしいんだね。
だから言いづらかったんだよなぁ。
と思いながら答えます。

「それはまだわからないよ。
 女性同士で子供を育ててるカップルもいる。
 最近は技術も進んでて、
 女性2人の遺伝子から、女の子限定になるけど、
 赤ちゃんを産むことは可能なんだって。
 まだ人では使えない技術だけど、それが
 認められたら、カップルで産むこともできる。
 いろんな方法があるんだよ。」

一番気になるところだと思い、調べていました。
そうなの?と母は少し安心した様子でした。

「それに、お兄ちゃんもいるしね。」

付かず離れずの距離で聞いていた兄に言います。

「おう、任せろ。
 孫の顔は俺が絶対に見せるから。」

この約束に3人で笑顔になり、

「ほら、みんな待ってるよ。ご飯食べよ。」

と、リビングに戻ってパーティを再開しました。


パーティが終わり、みんなが解散した後、
父と母がリビングでまったりしています。

パーティ再開後、私のカミングアウトは
まるで何もなかったようにされていて、
そのまま触れないで生活しようとしている
ように思えました。

今を逃すと言うチャンスがなくなる、と
不安になった私は、

「実は、今彼女がいるんだよね。」
と伝えました。

これも、大きな間違いでした。
焦りすぎていました。

まだ混乱していた母は、
「今は聞きたくない、聞きたくない!」
と、拒絶し、その日はそれ以降
私と口を聞いてくれなくなりました。

母はその後体調を崩し、全身にじんましんが出て、
頭痛もするようで寝込んでしまいました。

久しぶりにかけられた言葉は、

「マミーに優しくして。」

病気になると良く言われる言葉でしたが、
この時はとてもとても重く感じました。

すこしでも楽になるように、と
母の足や肩をマッサージしながら、
私がレズビアンであること、彼女がいることには
全く触れずに、色々な話をしました。
ずっと、空元気で話しているように聞こえました。

自分が24年かけてやっとこ飲み込んだことを
1日で急に打ち明けられたら、そりゃあ
情報過多で体もびっくりしちゃうよな。。。
と反省していました。

その後、じんましんをみてもらうために
皮膚科に行った母が、
帰り道に気を失うという事件も起こりました。
父が迎えに行っていたので大ごとには
ならなかったのですが、
話を聞いた時は心臓が止まりそうでした。

「絶対に私のせいだ...」
「私が変な伝え方をしたから...」
それからずっと
母に申し訳なさを抱えるようになりました。

母は精神的にかなり負荷がかかったらしく
その後パニック障害にもなりました。
誰も悪くないのに抱えてしまうもやもやを
なんとか前向きに受け止めようと、
心療内科にも通い始めました。

私が当時の彼女と会いに行きたくても、
出かける時はなぜ出かけるのか聞かれる。
嘘をつけない私は母をまた傷つけてしまう....
今の母を必要以上に刺激したくないのに....

八方塞がりに思える状況で、
どうしたらいいかわからなくなり、
またしても兄に相談してみました。

「全部俺を通して話せばいいよ。」

それから、デートに行く日付や、
何時に出て何時に帰る予定か、
直接母とは話さずに、
兄を通して伝えるようになりました。

なるべく母を1人にしないように、
私が出かけている間は
兄が実家に戻って母と一緒にいてくれました。

本当に、最高のサポートでした。

おかげでゆっくり、ゆっくりですが
母は状況を受け止めてくれるようになりました。

3ヶ月ほど経った頃、
出かける時は直接言えるようになりました。

半年ほど経って、やっと母から、
彼女のことについて質問されるようになりました。

さらにもう少し経ってから、
彼女に会いたいと言ってくれました。

もっと経ってから、彼女が
うちに泊まりに来れるようになりました。

さらに1年経った頃、
2人で暮らすことを認めてくれました。

本当に、本当に、
頑張って受け入れてくれたんだと思います。
感謝しかありません。


でも。
伝え方をもう少し考えていたら、
こんなに傷つけることはなかったかもしれません。
未だに、思い出すと後悔してしまいます。

この話を読んだ方で、大切な方に
カミングアウトしたいと思っている方は、
是非、よくよく伝え方を考えてから、
行動に移してほしいです。

あなたと、相手との関係は
あなたが一番よく知っているはずです。
自分で納得できる方法を、妥協せずに
探してほしいなと願っています。


もう一つだけ、違和感があることについて
伝えさせてください。

この話をすると、ほぼ必ず、やっぱりアメリカには
LGBTの人が多いから、アメリカ人のお父さんは
受け入れるのも早いんだね、と言われます。

この言葉には、2つも大きな勘違いがあります。

まず、LGBTと言われる方々の割合は、
国によって変わるものではありません。
日本ではあまり認知されていないだけです。
受け入れられないことを恐れて、
隠している人も多いのが現状です。

次に、父は30年以上日本に住んでいて、
セクシャルマイノリティが当たり前になった頃の
アメリカに住んだことはないです。
それでもこのように答えてくれました。
娘のことを、自分がコントロールできる
弱い立場の人間としてではなく、
1人の人間として尊重して見てくれているからだと
考えています。

一人一人の個性を認めて大切にすることが、
多様性を認める社会になるために
必要なことだと思っています。

まずはこの記事を読んでくださった方の中の
1人でも多くが、自分と、自分の周りの人の
多様性を大切にすることを今までより
少しだけでも考えてくださるようになったら
嬉しいです。

「彼氏いるの?」を「恋人はいる?」に
変えるだけでも、生きやすくなる人が
たっっくさんいます。

一人一人が視野を広げることで、
マイノリティという言葉が必要なくなることを
願ってやみません。


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