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幼少~思春期の入口の私

小さい頃は外遊びをよくした、レンゲの花冠を作ったり、ザリガニ取り、近所の神社でかくれんぼ、枯れ葉のベッドを作ってダイブしたり。

母も枯れ葉で焚き火をして焼き芋を作ってくれたり、庭でバーベキューをしたり、猫以外の動物は飼うことができた。うさぎ、インコ、犬、鯉、金魚、ザリガニ、カブトムシ等々。

私は子供の頃とても太っていた、そして人が多い場所では恥ずかしがり屋だった。
集団が苦手だったので、仲の良い同じ年の子や近所の年下の子達とは、よく遊んだ。

小学校高学年で不登校になった。
意地悪でリーダー的な存在の女子から、ちらちら視線を感じ、私の噂話をされているような気がした。そこから視線恐怖症がはじまった。そして、授業中などに発表することも、上がり症で嫌いだった。私は忘れ物が多くて、先生からよく怒られていて、立たされたこともある。とても屈辱的だった。

でも、学校の国際委員会の活動や、図書室は好きだった。

その頃の不登校は珍しく、学校内では2~3人だったらしい。そのためか、校長室や事務室に登校して、校長先生に絵を見てもらったり、事務の人たちの簡単な作業のお手伝いをさせてもらったりしていた。その時はとても楽しかった。

でも、そのころの私は生きていることが苦しくなり、母に、

何故、私は生きていかなければいけないのか?

と聞いたら、キリスト教の本を渡された。
「人はなぜ生きるのか」という題名だった。
でも、読んだかどうか内容は覚えていない。

それから、どうしたら死ねるのかを、考え、想像したが、まだ楽しみなことがあると(TV番組、教の晩御飯、楽しい予定)まだ死ねないな、と先伸ばしにしていた。
結局、実行に移したことはなかった。

あと、友達に「私が死んだらどうする?」って質問をする困った生徒で、思春期にはそれが「悟りたい」に変わっていた。

私は小さい頃から、さまざまな活動を楽しいと感じる反面、人の中での生きづらさを抱えて生きてきた。

それがスピリチュアルや宇宙や心理学への興味をかき立てている原泉なのだと思う。

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