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感動する瞬間が「素」の自分

先日クライアント様からこんな質問されました。

「素のジェニーさんてどういう人なんですか?どんな時が本当の自分だと思いますか?」と。

おお、なかなか良い質問ですね。

私のセッションは「魂のおめざめ」を助けるその名も「スピ越えジェニーのおめざめセッション」。ですからご自分の魂(=本質)を起こしたい方々がクライアントさんとなるので、本質的なご質問だと思います。

「素の自分」「本当の自分」

以前は色々定義してみたものです。「本当の自分はああじゃない、こうなんだ」とか。でもこの定義はやりたくないことや、好きじゃないことを肯定しているだけのことなんですよね。今だから言えるのですが。

では好きなことしかやらないと決めたらすぐに「本当の自分」に出会えるのかというとそうでもなく。。。よくわからないという結論に至ること多しでした。

こうしてながーいこと自分に向き合ってきて今思うことは・・・

「全部私です」

ということ。

そして<自分という人ってなかなか謎に満ちていて一言で言えないわーっ>ていうことです。で、それで良い!それだから面白いよ自分て!!と思っています。

でもそう言いながらふと気づいたことがあって。

「素の自分」はこれだ!と気づいた瞬間がありました。

それは何かをみたり、聞いたりして

「わっ!すごい!!」と「感動」する時!!!

この「わ!!!!すごい!!!」って言葉が瞬時に出る時って何も考えてないでしょう?思考より言葉が先に出ちゃう瞬間。これが「素」であり、その感動した対象物について、自分の深いところで「感情が動く」ということでそれが「本当の自分」を語れるヒントが隠されているのではないかなと。

仮に「絶対に感動しないでください!」って言われても、素晴らしい景色を目の前に見たり、心の琴線に触れる音楽を聞いたりしたら、感動を止めることなんて出来ないと思います。

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ではここで質問です。

あなたが心揺さぶられることは何ですか?最近心揺さぶられていますか?

そう言われると随分とそんな感じが無いなと思いますか?

心揺さぶられると書きましたがこれは言い換えると、ワクワクしたり、ドキドキしたりのことを指します。ワクワクしたり、ドキドキしたりしていますか???

私たちは常に感情と共に生きるようになっています。

だけど毎日同じようなことを繰り返していると、その感情が当たり前になってしまい、何だかつまんないなと思い始めるものです。ましてや最近はネガティブな風潮が主流なのでつまらないというより、仕方がないと流されてしまいがちです。

だからその反動があるのですよね。

旅行に行きたい

お友達と会って色々な話をしたり

映画や舞台を見たり

コンサートに行ったり

本を読んだりする

素敵な恋愛もしたい

これらの行動をなぜしたくなるのか?

日常から非日常にワープしたいから?知らないところを訪ねて色々なことを体験したいから?

友人から新しい面白そうな話が聞きたいから?

話をしてストレス解消したいから・・・・?

あ、「ストレス解消」っていう回答がまず出て来そうですね。

これらの行動の意味するところは何か。

それは「感動」したいからというのが答えの一つになるのでは無いかと思います。

旅行に行って未知の体験をするなんてドキドキ!

目の前の絶景、なんて素敵ー!!!

この音楽、なんかジーンとくる。。。。

本を読みながら、映画を見ながら、そうそう!そうなんだよ!って。

日々決まった時間に会社に出社し、仕事をして、たまには外食でワイワイやって、土日はゆっくり昼寝や散歩やショッピング。

こういった生活パターンが当たり前だった1年前まではこの行動を繰り返し繰り返ししていくと、

ワクワクも

ドキドキも

ジーンとくることも

激しく共感することも

以前はそうだったものも普通になって行きます。

でもね、言われてみればこの感覚ってすっごく大事じゃ無いですか?大事だから行動に出るんですよね。無くてはならない動機です。

ワクワクしたい

ドキドキしたい

共感したい

きゅんとしたい

この共通点は「感動したい!」

私たちって感情の生き物ですから、感情豊かって自分に正直な生き方をしているんだと思います。

イルカ

そう、私達っていつも「感動」していたいんです。

「感動」って

「感(情)」が「動く」

って書く。

ここは理屈がありません。考えることも無い。それは魂が求めていることだから。

本当はいつもいつも感じているはずなんだけど、魂の求めを時間がない、余裕がないといって満たすことを後回ししてしまう。

だから気づけば不感症になってる自分がいて愕然とするんです。

イチロー選手の言葉

本田圭佑選手の言葉

「いいこと言うなぁ」

「さすがすごいよ」

「本当にそうだよな」

こう思うのは私達にもその言葉を自らの言葉で、表すことができるよと言う現れです。

共感

感動

これはすでに魂が知っていて、すでに知っているからこそ感じることなのです。私たちのそれぞれがそれぞれのやり方で、やりたいことを追求し、実現するために本気で頑張った時、同じ言葉が自然と出てくるかもしれません。

「感動」は与えられるものではなく、

「感動」は気付かされるものなのかなと思います。

どんなことに感動し、心動かされるか。

ただのストレス解消ではないですよ。

そこには自分の本心、魂の目的が隠れています。

それが欲望に従順であり正直に生きることなのかなと思います。

どんどん「感動」していきましょう!


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