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格闘ゲームコミュニティにありがとうを伝えるためにHACHIMANTAI 8 FIGHTSを開催した話。

子供の頃、将来の夢を聞かれるたび、私はひどく悩んだ。
進行性の難病である筋ジストロフィー症で生まれた私は、できることができなくなっていく経験を子供の頃から何度もしてきた。それに慣れすぎたせいか、小学校を卒業する頃には自分の今後に期待することもなくなっていた。唯一の趣味と言えば流行のオンラインゲームで、時間をかけたり、やりこんだ時間だけ形として残るゲームだけが、自分の居場所だった。

やりたいことも特になく将来に期待を膨らませることもできずに過ごしていた高校生の頃。対戦格闘ゲームと出会った。ニコニコ動画でスーパーストリートファイター4の実況動画を見た事がきっかけだった。小学低学年から車椅子に乗っている私は、気軽にゲームセンターで遊ぶことも難しかった。それでも私は、知らない誰かと1:1で気軽に対戦ができる格闘ゲームに魅了され、晴れて動画勢になった。ウメちゃんの真空波動拳講座の動画を見てアケコンに憧れたし、NSBの格ゲー講座をプレイしているわけでもないのに毎週見ていた。

「ゲームを買って、うまく遊べなかったらどうしよう」

何かに挑戦して、挫折することが多かった私は、とりあえずでゲームを買って遊ぶことが怖かった。プレイステーション3も持っていなかったし、ゲームを始めるにしても、コントローラーをうまく操作できるかが不安で1年近く購入できずにいた。

ある時、遊んでみたい気持ちが我慢できず、地元のゲームセンターに行った。ゲームセンターのレバーは、私の腕では筋力が足りず、操作は思った通りにはできなかった。それでも、動画で見た筐体の前に座り、レバーとボタンを触るだけでうれしかった。どうやったら遊べるかを考えながら帰ったことを覚えている。

なるべく軽いパッドのコントローラーだったら今の力でもできるかもしれないと思い、プレイステーション3で使える重量が小さいコントローラーを調べた。振動パックが付いていないものを見つけて、それをアマゾンの欲しいものリストに入れた。それから、家族にどうしてもやりたい理由を伝え、高校生3年生になる春、私は格闘ゲームを始めた。

すぐに飽きたらどうしようと思っていた不安はどこへ行ってしまったのかと思うほど、私はストリートファイターに没頭した。高校3年の始業式の朝も、早起きしてCPU戦をした。対戦相手はいつも知らないどこかの誰かだった。ストリートファイターは、進研ゼミも最初の1ヵ月ですぐに「やめよっか」してしまうような私が唯一逃げ出さずに続けられた物だった。

それから格闘ゲームにどっぷりはまり、同級生の遊びの誘いはゲームの練習をしないといけないからと断る位にハマっていった。赤点を取りつつもキャラ限のセットプレイだけはちゃんと履修して、私は高校を卒業した。

ゲームを通してインターネット上で友達がたくさんできた。友達と永遠に遊んた。奴らがいる関東まで1人で旅行にも行った。ゲームを通してできた友達と会うのは初めてで、車椅子に乗っている私を1人の友人としてみんな普通に接してくれた。

僕らは格闘ゲームに夢中だった。

ずっと1人では何もできなかった。1人で買い物に行く勇気もなかったし、ゲームセンターにだって行くこともなかった。現実の様々な障害を、工夫して解決することができるようになったのは、間違いなく格闘ゲームを通して学んだおかげだった。

それから時間が経って、私は病期の進行による握力の低下でコントローラーが握れなくなった。病気の進行で前のようにゲームができなくなった時は、少なからずショックではあった。こういったことには慣れていたはずだったけれど、思い出の濃さと格闘ゲームに対するプライドが違かった。ぶっちゃけ自分の足で立って歩くことができなくなった時の100倍はきつかったことを覚えている。
病気という攻略方法のない無理ゲーのせい、好きなことを諦めなければならない経験は、自分だけでいいと、強く思った。

それから今の今まで生きて来れたのは、格闘ゲームや憧れのプロゲーマーに強くなる方法を学んだからだと思う。あの頃格闘ゲームに没頭していた時と同じ位の気持ちで物事に取り組むことで、大抵の事はどうにかなった。
就職するために仕事の勉強をしたら、在宅勤務で働くこともできた。自分で稼いだ金で家族を旅行に連れて行くこともできた。

毎日楽しくて、好きなこともできて、仕事もあった。違うゲームのオフラインの障害者eスポーツ大会にも出た。それでもどこ満たされることはなくて、心に空いた穴に蓋をして過ごしていた。

コロナの流行により、外出ができなくなった。
格闘ゲームへの気持ちを紛らわす手段が制限され、私の心は空になった。

何かがあると介護事業所に迷惑がかかるから外出することもできず、2年半の間ほとんど家から出ることもできなかった。大好きだった近所のラーメン屋にもいけなくなった。

何もしないことを求められる時間の中で、残された人生について考えた。常に後悔だけはしないように生きるようにはしていたけれど、今後どうありたいかを強く意識させられた私は、残りの人生で後悔しないために、少しだけ自分と向き合うことに決め、会社を辞めた。

自分の今までを振り返り、唯一後悔していることがあった。

私はもう一度ストリートファイターを始めた。

手がうまく動かないならと、顎で操作することにした。思ったようにキャラが動かず、顎から血が血が出るほど練習した。初めて顎にニキビができた。最初の数ヶ月は絆創膏だらけだった。

それから顎用のコントローラーを仲間に協力してもらいながら自分用のコントローラーを自作した。それから障害者のeスポーツ活躍支援をしている株式会社ePARAに就職した。自分みたいな障害当事者がeスポーツに触れたり、自己実現に繋がるようなeスポーツイベント制作の仕事を始めた。

視覚情報を用いずに音声情報のみで遊ぶことが出来るストリートファイター6の「サウンドアクセシビリティ機能」の開発にも携わった。

それから、昔からの夢だったオフラインの格闘ゲーム大会「EVO Japan」にも参加することができた。

夢にも思わなかった、10年間一度もオフラインで対戦したことのない友人等と隣同士で対戦ができた。この日みんなと遊んだスト6の試遊時間30分は、今までのどんな30分よりも濃くて、一瞬だった。楽しくて、しょうがなかった。あの頃憧れたボタンを弾く音が、鮮明に耳に残った。ホテルのベッドの中で少し泣いた。

あの日私は現実を受け入れて、好きなことから逃げた。
それでも、遠回りしてきたから見える景色が確かにあった。

帰ってからたくさん考えた。
この日本中に私の過去のような経験をしたり、好きなことを諦めてしまう瞬間がきっと誰かにも起こる日が来ると。

好きなことができなくなることは、死ぬよりつらい。
そんな瞬間をこの社会から1つでも減らせる活動をしようと思った。

私は格闘ゲームが好きだ。そしてなによりも、格闘ゲームコミュニティが好きだ。そう思った時に、自分のできる格闘ゲームへの恩返しをしようと思った。そして、自分のような人間が参加できるeスポーツ交流イベントを開催するプロジェクトを始めた。

コントローラーが握れなくてもいい。アケコンが動かせなくても良い。その人にあった操作の工夫を最新のゲームアクセシビリティデバイスを使いながら、ゲームをプレイするための工夫を参加者が学び体験できるようにアイデアを膨らませた。

でもどこか違和感があった。
私は障害を持った自分のような人のためにイベントがしたかったのかと。
私が格闘ゲームにハマった魅力は、不自由は時にして責任逃れの理由に出来るけれども、格闘ゲームはやるもやめるも、勝つも負けるもすべてが自己責任で、それらすべてが自由であることだった。
その平等さが魅力なのに、障害者だけを対象としたイベントでは何の解決にもならないと思った。

誰とでも対等に勝負できる場を作ること。それが私のこれからすべきことだと確信した瞬間だった。

「格闘ゲームへ恩返しがしたい。」


社長に命かけるからこの企画をやらせてほしいと面談で思いを伝えた。絶対成功させようと、おっさん2人で泣きながら誓った。それからBTOパソコンメーカーのサイコム様の協力で、日本最大のバリアフリー格闘ゲーム交流イベントを開催することになった。

当初は格闘ゲーム仲間のデザイナーの友人と2人だった。
「格闘ゲームのオフイベントってどうやったらいいのか?」
そもそも私自身にはオフイベントの経験がなかった。仕事もリモート格闘ゲームはいつもネット対戦だったので何から進めたら良いか分からなかった。

自分にできることは声をかけてアドバイスをもらいうことしか無かった。普段からやってきた東北の格闘ゲームコミュニティの人達に実現したいことを伝え意見を求めた。みんなが協力してくれて、最初は2人だったところから、当日のスタッフは50人を越えていた。

開場から来ていた同じ病気の子どもたちが用意したデバイスでとなり通しで対戦している姿を見て、オープニングイベントを始める前からやってよかったなと思った。

気がつけば東北6県の格闘ゲームコミュニティが集まる程大規模になった今回のイベントは、私一人では絶対に達成することは出来なかった。スタッフの誰か一人でも欠けていたらこんなイベントにはならなかった。

私の体が動いたとしても、こんな日を迎えることはなかっただろうし、ちょっと気持ちが悪いけど、生きる意味みたいなものを強く感じるような2日間だった。

最近「"障害"とは病気そのものが障害なのではなく、障害を感じさせる環境によって生じる物」ということを教わった。

格闘ゲームには障害ばかりだ。
だけれど私は思う。課題があるから目標も出来るし、努力ができる。
小さいきっかけと環境さえあればどんな障害だって感じることはなくなる。

そんな小さいきっかけと環境を作ることが、私にとって格闘ゲームへの答えなんだと思う。

今回で全てが解決できたとは思わないけれど、きっとこの先のきっかけには必ずなったと思う。そう信じている。


この記事を読んでくれた人に一言伝えたい。
格闘ゲームはヤバい。

そして、この2日間、参加してくださったすべての人に伝えたい。
対戦ありがとうございました。


いただいたサポートはコントローラーの開発費や、活動費用に充てさせて頂きます。