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意外な素顔?

テレビで「意外な素顔が明らかに!」という文字を見ると、ただちに興味を無くす。かちゃっとリモコンを拾って、テレビに向けて思い切り電波を飛ばす動作は、まるで西部劇のガンマンだ。

「意外」とは何か。
例えば、真面目そうに見える芸能人が家でだらだらとスマホをいじっている姿を「意外」だと決めたとする。
そうすると、「真面目なイメージ」が「意」であり、「だらだら」が「外」である。

しかし僕を含めて皆、当芸能人が「真面目」だなんてその瞬間まで思っていなかったかもしれない。
もしくは、仮に「真面目」なイメージはあっても、例えばこの人なら赤信号でも周りに誰も見ていなかったら渡ってしまうのではないかという風に、不真面目な彼をどこかで持っているものである。

つまるところ、「意外」という言葉を使われると、彼に対するイメージが「真面目」一色に染められてしまうのだ。
「不真面目な彼」という僕の所有物を奪われてしまうのだ。
それは困る。イメージ泥棒断固反対。

だからテレビなどで「意外な素顔が明らかに!」と言いたい時は、
「彼の意外な素顔を明らかに!したいとは思っていますが、意外かどうかを勝手に決められるのは嫌ですよね。だってそんなのイメージ泥棒ですもんね。皆さんは意外かどうかをご自身で決める権利がありますし、いえいえ、決めても決めなくてもいいんです。それすらもご自身で決めていいです。ただ言いたいのは、私たちは皆さんの意識を分かった気でいたり、さらに意識の内実を操作し、気に食わない部分は強奪してしまおうとしたりはしていないということです。ただ、私たちは一つの仮視聴者Aを想像しています。Aは実体のない、名前も身体情報もないフィクションです。Aがもつ彼に対するイメージは、世間一般がもつ彼のイメージの最大公約数のようなものです。私たちが今から素顔を明らかにするのは、そのAにとって意外なものという話です。分かって頂けましたでしょうか。」
ぐらいは言ってほしいと思っている。
ただ僕は長いテロップを読まないので、やっぱりリモコンを握る。


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