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恩田陸「夜のピクニック」読書感想文

ろ過された本音

特定の相手、ひいては世界の捉え方が次第にこされていく。
歩行祭は、そのろ過機の役割を果たしていたように思える。

歩行祭が知らしめたのは、時間帯によって移りゆく周囲の景色であり、友人の聡さであり、身体に加わる負荷がつくる頭の余白である。
各々が単独で、時折協力しながら、融や甲田のなかに渦巻く本音を絞り出していった。

本音を認めるというのは、とても難しい。
特に、実は自分が幸せとか、実はあの人のことが好きだとか、プラスの感情を背負った本音は、一切無視した方が生きやすい。
そうでないと、目の前に横たわる現実や、自分を傷つけた相手をきちんと呪えなくなるからだ。
そしていつか、本音を蹂躙した一時的なウソが、あたかも自分が本物だというような顔をして、心に居座るのだ。

この本を読んで、本音を認めたいと思った。
そのためにはまずウソを、そしてウソを創った自分自身を認めないといけない。
だが歩行祭を自身で敢行する気力は正直ない。
ひとまず、見慣れた景色が時間ごとに変化する様を見てみたい。

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