夜の闇に灯りを点す (読書録2021年3,4月)
もう三回目です。半年続いていて偉い!
読書録、これまで投稿時にまとめて書いていたけど、一気に書くのはなかなか骨が折れるし締切直前病を発症して慌てて振り返ることになってしまう。ということで、今回は一冊読み終えるたびに本全体の振り返りを書いていき、二ヶ月間溜まったものを放出するという形式にしてみた。なので今回は文章量が多めだと思うよ。
失われた夜の歴史
夜についての本。夜の「歴史」といっても、この本の取り扱う範囲は西欧社会に限られていて、時代的にも産業革命前の中世に焦点をあてたものになっている。そういう意味では世界中の夜について取り上げる「夜の文化史」といった感じではない。
代わりに凄いのは、この本のカバーするトピックがあまりにも広いこと。それに、有名な歴史的事実や文化ばかりを辿るのではなく、主に日記作者の残した文章や裁判記録など「人々が夜の暗闇の中でどう過ごしていたか」の実態に限りなく迫ろうとしている。
トピックの広さでいうと、都市や家庭内における照明、睡眠の形式とその質や夢、夜間における人々の (犯罪行為や集会など) 様々な行動、夜に対する人々の考えや思想、夜について述べた詩などの文学、夜の恐れの対象であったサタンやそれから身を守る魔術、等々。普通ここまで幅広くあらゆる事柄について述べようとすると話が散らかってしまって大変になると思うが、この本は地域も時代も絞って、さらに「夜」という一本の筋をそこに通すことでまとめている。約 500 ページに及ぶ分量だが、常に様々な分野に関して新たな知識を与えてくれる。
現代の明るい夜に慣れきっていると、照明の発達していなかった時代の夜闇がいかなるものだったのかは全然わからない。多少そうしたことに関する文章を読んでも、なかなかちゃんと想像するのは難しい。この本がありとあらゆる方向から中世ヨーロッパの夜について教えてくれてはじめて、今はもう失われた夜のことが少しだけ分かるようになる気がする。
内容面の感想で言うと、まず全体的に知らないことだらけで面白いのは前提として、特に睡眠の形態についての話が興味深かった。夜間の照明や治安、それに寝具の質などの話は基本的にどれも「今は当たり前だと思ってることも昔は大変だったんだなあ」という気持ちがベースに来てしまうが、睡眠の形態のところにきて初めて「今の私たちが失ったもの」に話が及ぶ。産業革命前の、人工照明に照らされていなかった人間は一日に二回眠っていたといい、「第一の眠り」のあと少しの覚醒時間を経て「第二の眠り」をとっていた。その二つの眠りの間の時間を何に使っていたかはもちろん様々だが、特に暗闇と静寂の中で思索に耽ったりするようなことも多く、当時としては貴重な真のプライベートの時間だった。照明によって人は安全と夜の楽しみを得たが、代わりにプライバシーと闇中の思索の習慣を失った。こういうのを見ると瞑想的なことも面白そうというか、瞑想の時間が毎日習慣づけられていて、しかもそれを眠りと眠りの間の夜闇で行っていると一体どうなるんだ?という興味が出てくる。
日本の憑きもの: 俗信は今も生きている
昭和 34 年の本が復刊されたもので、「今も生きている」と言ってもそれは当時の話……なのだろうか?出版時からすでに 60 年経っているわけで、さすがに現代とは様相を異にするだろうとは思いつつ、別に自分も地方村落の生活や文化を知っているわけではないので実際はどうなのか……。
狐や犬神といった動物霊を中心とした憑き物について、その種類の説明から、各地方の憑き物のフィールドワークに基づいた戸数と成り立ちの分析、ひいては憑き物が家単位で "憑き物筋" と扱われて婚姻の拒絶などの社会緊張をもたらすに至った歴史的経緯までが取り扱われている骨太な本。
単なる歴史や風俗の説明にとどまらず、地方の一共同体における憑き物の始まりと変遷の分析を経て、当時すでに多くの人がそうした憑き物を迷信と分かっていたにもかかわらず依然として婚姻拒絶などの問題が残っている点について、体面を気にしたりする同調圧力めいた社会群の力があるとして啓蒙と教育の必要性を説くメッセージも見受けられる。こういうふうに、狐や犬神自体が恐ろしいということは全くなくとも、社会のありようによって憑き物による社会緊張が残留しうるということは、現代においてもそうした問題がなくなっているとは限らないことを意味していると思う。
ところで、古い本なこともあって読むのは相当大変だった。本文の文章自体はともかく、頻繁に引用される文献が漢文だったり、和漢混淆でなにかしら特徴的な近世古文書だったりして、ざっくりとした意味を把握するだけでもたいへん時間がかかる (古文・漢文の素養がないので……)。もうちょっと新しい本で憑き物の特徴や歴史が総覧できるものがあれば、そのほうが良かったかもしれない。あるのかは知らないけども。
神社の古代史
伊勢神宮や鹿島神宮をはじめとした有名な神社の起源やその性格の変遷、律令国家における神社制度を説き明かす歴史本。記紀・各地方の風土記・和歌集など古代の文献のほか、近世以降の神社研究もひいて様々な分析をしている。
有名神社の起源については、もちろん記紀の中に神話として起源伝承があるのだけれども、ただ神話を説明するだけに留まらない。ヤマト王権の支配や東征、外交などの形と関連付けて神話を分析し、誰がどのような信仰によって何の神を祀るものとして成立したのかを考察している。単に信仰の問題だけではなく、政治的な意味も込めた祭祀の形を説明している点が興味深い。また、起源の話だけではなく、たとえば伊勢神宮は近世以降だと民衆がこぞってお参りをする神社になっているが、古代では伊勢神宮内宮は天皇の守護神である天照大御神を祀るものとして天皇以外の幣帛が禁止されていた。そういう神社の性格の違いや変遷も、近世以降の印象しか持っていなかった自分にとってはなかなか面白かった。
政治的な意図のある神社制度というと明治の国家神道がまず想起されるが、延喜式に見られる古代の神社制度も、天皇を中心・最高位として日本全国を支配するという律令国家の形を、神々にも格付けとして同様の構造を与えて信仰面から補強していた。明治の国家神道は名前だけ古代のものを引き継いでいて実際の祭祀のあり方などは全く別物になってはいるけれども、国家支配の一面として神社制度を使うという点ではまるきり同じようなことをやっているんだなあという印象。
こういう古代の歴史とか信仰のあり方を少しでも知ってみると、有名な神社に訪れたときの楽しみが増えるような気がするので、そのうち行ってみたくなるな。
鉱物 人と文化をめぐる物語
長年にわたって鉱物学を研究してきた著者が、さまざまな雑誌等に寄せた記事を編集したエッセイ集のような本。そういう性質もあって文体も読みやすく一記事単位でわりと独立して読めるので、今回の軽い本枠。
特に本全体で統一された論旨があるわけではなく、逆に言えば多様な話題を取り扱っている。日本の鉱物教育が西洋に比べて遅れていることへの嘆きとか、とにかく幅広い国と地域にわたる話題から読み取れる鉱物愛とか、そういうものは全体を通してあるけれども、何かしらの主張というよりは単に雑学集のような感じで読める。
その中にミネラルフェアという鉱物の即売会に関する文章があり、気になったので近くでやっていないか調べて行ってみた。
もともと石はわりと好きな方だったので、見て回るだけでも楽しめた。とはいえ、最近の鉱物趣味ってどうしてもパワーストーンとかスピリチュアル系との結びつきが強くて、そういう系統にはあまり興味がなく若干辟易した。出展しているブースの中には宝石・アクセサリー中心のところから、原石・自然石を中心に売っている生粋の鉱物マニアのところもある。陳列されている石の産地や結晶の形なんかについて話が止まらないような出展者もいて良かった。
本の話に戻ると、鉱物の色味や結晶の形などについての記述はどうしても (あまり鉱物自体に詳しくないものあって) 文章だけだと想像しづらい。写真はある程度載っているものの、白黒だし画質もそこまで良くないので大して役に立つ気はしない。幸い現代はインターネットを使えば、石の名前が出るたびに画像検索して何種類もの写真を見ることができるので、そうやって読むのがよさそう。
日本語をどう書くか
本屋で見かけて、なんかタイトルも柔らかめだし、本自体も薄いし、軽く読めるかなと思って購入。結果としては、想像以上に難しい本だったので全然軽くはなかった……。しかし内容はめちゃくちゃ面白かった。あとがきに著者自身が書いているように第三章と第四章が特に学術的・専門的で難しいが、残りの章は比較的読みやすいし、なにより馴染み深い日本語の話なので色々と実感させられることが多い。
われわれが普段使っている日本語を、古来から受け継がれてきた「話し言葉」と、近代以降に作られた「書き言葉」との、ふたつの異なる種類の言語と捉えてその二重構造を説く。今こうして書いているような近代口語文、いわゆる「書き言葉」は西欧語の直訳という要請のために人工的に作られたもので、その歴史は百年ほどしかない。百年といっても普通の人生よりは長いから、すでにほとんどの日本人はこの書き言葉に慣れていてあえて顧みることはないように思うけど、言われてみれば日本語の話し言葉と書き言葉の乖離は相当な気がする。別種の言語であると言われたほうが納得できるぐらいには。
いくつかの論点があるけど、まず面白いと思ったのは「文」の概念について。こうして書いている文章でも自然に句点で区切って文を連ねているけど、これは西欧語における sentence に対応するものとして、日本語において新たに "発明" されたものだという。昔の日本語の書き言葉では句読点を使わないのが普通だった (今でも賞状の文章とかはそう) というのは知っていたけど、ここで重要なのはそもそも日本語に元から「文」に相当する構造があってそれが "発見" されたのではなく、あくまでも sentence に対応する構造として人工的に作られたものだとする見方。読点はともかく、句点で文を区切る箇所はふつう間違いようもないと思いこんでいるが、現代人がそう思えるのは教育の成果とでもいうべきもので、伝統的な日本語の感覚ではそうではなかった。このことを、句読点が導入され始めた時代の文章を色々と引いて示している。
句読点といえば、前に谷崎潤一郎の『春琴抄』を読んだのだが、これはあえて句読点の使用が極端に少なく段落分けもされていないスタイルで書かれている。自分は最初わりと面白半分で「それって読みにくいんじゃないの~?」と思っていたが、読んでみてビックリ、言葉づかいの流れやリズムが非常によくできていてむしろ読みやすい。句点でしっかり区切られた文章よりよほどスムーズに読める感覚すらあって、なかなか 90 年前の作品とは思えない読み味だった。現代のエンタメと比べても遜色ないスピード感に驚いたのをよく覚えている。(ところで『春琴抄』は内容も素晴らしくて一気に好きな小説になってしまった)
で、『日本語をどう書くか』ではこの『春琴抄』にも触れている。sentence や paragraph に対応する「文」や「段落」といった構成要素にとらわれず、句読点をもっぱら感覚的に「一息つくところ」に置いているこの文章が、日本語の伝統的な文章のあり方だったという。少なくとも自分は『春琴抄』を読んで、そのスルスルと入ってくる文章のリズムに感動した経験があるので、近代口語文の「文」単位の書き言葉が必ずしも自然な日本語の感覚に一致しないというのはよくわかった。
他にも「文」概念の発明にともなって決められた文末の形や、西欧語からの輸入で造語された歴史の浅い単語に対する警鐘などトピックがあり、どれも興味深い。全部を振り返ってるとこの本だけ読書録の長さがとんでもないことになるのでそれはしない。とはいえ、ひとつ言及するならこうして文章を書いていると日本語の書き言葉における文末語の貧弱さを本当に実感する。同じ文末語が頻発するのには違和感があるという感覚を持っているから、書き言葉の文末語の乏しさゆえに違和感のある文章が必然的に生まれやすいわけで、まあそれは欠陥と言って然るべきだと思う。
いや、この本だけマジで読書録が長くなったな。分量の多い本ではないが、それだけ面白かったということで。(他の本が面白くないわけではなく、「日本語を書く」という今まさにやっていることについての本なので感想がかなり書きやすかったというのが大きい)
神聖ローマ帝国
神聖ローマ帝国の歴史を、皇帝の考えに寄り添ってやや物語調、エピソード主体で最初から最後まで眺められる本。そもそも歴史のことを全然知らないのでもっと全体的な通史とかを学ぶべきな気もするが、こういう取っつきやすい本から入って色々読んでいるうちに身についたりしないかな……。
この本を読んでみようと思ったのは、「神聖ローマ帝国」がどういう国だったのか、その歴史は高校の世界史で学んだはずだがすっかり頭から抜け落ちていて、それでも「神聖ローマ帝国」という非常にいかめしい字面になんとなく魅力というか気になる要素があったから。実際この本を読むと、(時代によりけりではあるが)神聖でもローマでも帝国でもないこの国にいかにして「神聖ローマ帝国」の名がつくに至ったのか、その背景にあった古代ローマの存在感や世界帝国の野望とはどういうものだったのか、というのが分かるようになっている。
「神聖」にしても「ローマ」にしても「帝国」にしても、実態に即して名前がついたのではなく、むしろ現実にはそうではないから名前がついているというのが面白かった。あと、この本は当然神聖ローマ帝国を中心に見ているので周辺諸国やローマ教会の話は皇帝に深く関わってくる点だけになっているが、軽くしか触れられないがゆえにむしろ余計に気になってさらに知りたくなってくるというのは良いかもしれない。皇帝と教会の確執を見ているとローマ教会の立場からの歴史も見てみたくなるし、帝国も終盤になってフランスが勢力を伸ばしてくるとじゃあフランスはどういう歴史を辿ってきたのかなというのが気になってくる、みたいな。こういうのは本のテーマを神聖ローマ帝国に絞った上でエピソード中心に記述していることによる効果だと思うので、すごく真面目に歴史を学ぶという感じではないかもしれないが、歴史への興味を引くという点ではかなり効果的だったと思う。
まあそもそも基本的に歴史のこと全然分かってないというのがあるから、歴史の本は色々と読んでいきたいね。(実際はすべて本屋で巡り会えるか次第だが)
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