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軽めの本も求めています (読書録2021年7,8月)

四回目です。5, 6 月は (何なら 7 月も) 諸事情により全然読書が出来ていなかったが、なんとか復活することに成功した。一度中断したのにそのままズルズルとだらけずに再開できて偉い!

ちなみに諸事情というのは Quantum Protocol というゲームにあまりにもハマりすぎていた為です。全デッキで全ステージをクリアしたし、何なら RTA すら走ったので、今後はアップデートを触ったり新たな楽しみを探したりはするにせよ、今までほど時間を使うことはないはず……。

そういう事情と、軽めの本が無かったというのもあって今回の分量は少なめ。

天使のような修道士たち―修道院と中世社会に対するその意味

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中世ヨーロッパにおけるキリスト教修道院についての本。副題にある通り、修道院が一般社会に対してどういった影響力を持っていたのかを中心に論じている。なので、修道院の歴史や内実を概観する本というわけではない。もちろん話の中で修道精神がどういったものかとか、修道院のあり方が変わるにつれて (本来の目的である完徳に立ち返るために) 修道会に改革が起きたり派生したりといった変遷の説明はある。それでもこの本の主題はあくまで修道院の世俗社会における存在感や影響についてなので、かなり専門的である。もうちょっと基礎的なところはあらかじめ学んでおくべきだったかもしれない。

この本全体を通して、これまでの中世ヨーロッパ観では修道院の存在が圧倒的なものとして捉えられがちだが、実際はさほどではなかったと主張している。一次資料に基づいた数値的な検証をしっかり行うことや、残された文書の様々な偏りについて慎重に検討することで、誤った解釈に陥ることなくできる限り正確に歴史を捉えようとする姿勢が徹底されていることが印象的。そういった点では歴史学の講義然としており、史料から歴史を紐解く学問の一端を垣間見ることができる。

そもそも文書を記すという行為 (ライティング) そのものが半ば修道士たちに独占されていたこと、さらに地上にあって天の国へ近づくという最大の目的の前には世俗の出来事は修道士たちの関心事ではなかった (ゆえに文書にも残されなかった) ということから、史料をそのまま盲目的に受け止めると修道院の影響を過大評価してしまう。もちろん一時の修道会が膨大な資産や土地を所有し、大きな存在感を持って社会の中に在ったことや、その修道生活が広く一般の道徳観形成にも影響したことは事実だった。しかしそれは修道院が修道院として直接の影響を社会に及ぼしたのではなく、富の所有者としての修道院は他の所有者 (貴族など) と変わらず振る舞っていたし、一般の市民への影響は世俗教会の力があってこそだった。

総じて専門的で事前知識の不足を感じることが多く (なんかこんなこと感じる本ばっかり選んでないか?)、読むのはかなり大変だった。いわゆる文系学問の教育をきちんと受けていないので、第一章「文字に書かれた情報」で章ひとつ分を使って文書資料から歴史を再構築する際の危険性や注意点が述べられているところだけでも十分刺激的ではあり、読んでよかったのは確か。

異教的中世

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中世本二連続。先の「天使のような修道士たち」の著者であるルドー・J.R.ミリス教授が編者を務め、自身もうち二章を執筆している本。

なので「天使のような修道士たち」に引き続き、一次史料に基づいた最新の研究という態度は貫かれている。ただし全体の性格はわりと異なっており、ミリス教授を始めとした6人の著者による各論という体裁もあってか、読み物として楽しめるような読みやすさは間違いなくある。

キリスト教という巨大な一大勢力が支配していたと思われる中世ヨーロッパ社会に対し、一つのキリスト教という一面的な見方をやめ、異教的信仰がどのようにキリスト教化され、ある部分はどのように廃され、またある部分はどのように残っていったのか、様々な分野での文化変容を見ていく。

どの章にもいろいろな異教的慣習やそれに対するキリスト教側の態度が各種資料の引用とともに示されていて面白いが、やはりキリスト教に残る異教的信仰の残滓というのが最も興味深い。多神教ではそれぞれの分野ごとに神がおり、戦勝は戦の神に、豊作は豊穣の神に祈ることになる。神に祈ったり物を捧げたりすることで世俗的な問題を解決しようとする、神と人との契約関係がそこにある。一方で、一神教であるキリスト教ではそうした関係は存在しない。キリスト教の神とその信仰は遥かに高次のものであって、戦勝や豊作を祈る対象ではなく、人々の世俗的問題への解決を提示してはくれない。そのためキリスト教は異教的慣習を再解釈して取り入れるなどの変容をすることになる。様々な神への祈りという点では守護聖人に対する崇拝がこれにあたるなど、聖書そのものには本来なかった慣習を異教的信仰の残滓という観点で見ていくことは、中世の (そして一部は現代にも残る) キリスト教の見方としてとても面白かった。

支配の政治理論

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「支配」の問題をテーマに、支配に関する政治思想史と、現代社会の諸問題と支配の関係についての多くの著者による論集。前著に「権利の哲学入門」という本があり、どうせならそちらから読もうと思ったが本屋にこっちしか置かれていなかったので。

第一部では「政治支配の思想史」として、様々な古典家の支配理論が解説される。古くはプラトンから始まり、マキァヴェッリなど名前は聞いたことあるなという人たちの思想が簡潔に紹介されている。なにしろ数が多いためひとつひとつの文書がそこまで長くないという意味で簡潔と言ったが、内容としてはただの教科書的解説で終わるわけではなく、「支配」の問題に絞ることで古典思想を現代的な観点から捉え直すといった試みもなされている。またたとえばアダム・スミスについて、経済学は社会のありようと当然深く関わっており、支配をキーにすることでアダム・スミスの思想を統一的に説くといった章もあって面白い。古典的な政治思想への入門としてもどの章もわりと楽しく読めた。

第二部では「政治支配と現代」として、現代社会における諸問題を直接扱って支配について論じている。こちらも面白いと思う部分はかなりあるものの、どうしても扱っている思想が現代のものな上に、現代社会における困難な問題を絡めて論じているから、政治思想か社会問題かのどちらか一方にはある程度の造詣がないとなかなか理解するのが難しい。医療技術における専門家支配とそれに対抗するインフォームド・コンセントの効果や今後の展開などをフーコーの司牧権力論を交えて論じる章などは、分かったらかなり面白いだろうなとは思いつつもあまり頭に入ってこなかった。一章あたりの文章量が限られている以上仕方ないことではあるので、もっと色々学んでおけという話ではある。

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