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正月にかく語りき

新年あけましておめでとうございます
皆さんの2020年は如何でしたか

正直、自分が子供の頃、2020年なぞ遠い遠い未来のことと思ってました
それが実際に訪れて、歴史上でも滅多にないような年となるなんて、まぁーやはり人生とはわからないものですね

そんなことをしんみり感じながら、ちょっと思ったことをつらつらと書いてみたいと思います

親とは

先日、Twitterで下記のようなことを呟いている方がいらっしゃいました

自分が子供のときのこと全く覚えてない人けっこういるよね。自分が子供のころと比較して考えてみればいいのにって思う

そうだそうだー!と思いリプしたところ

なぜできないの!?と怒鳴って聞かなくても
自分に置き替えれば分かるでしょ?と言いたいですけど、そもそも自分の子供のころのことをあまり覚えていない人もいるようなので、まぁみんながみんなそうではないのでしょうね☺️

という返しが

この方の呟き、もちろん私はお会いしたことはないのですがとても考え方が広く柔らかく
私もはたと気付かされることが多いのです

私も子の親です
一応自分なりに決めている事があって、子に対しクドクドと言う時は

①危ない事をした時
②誰かに対し失礼な事をした時

の2点です

これ、読むとそりゃそうだろと思うかもしれませんが難しいんですよね
身の回りが汚くても勉強しなくても寝ろっつってんのに寝なくても上記には抵触しませんから
人によってはイライラしっぱなしかもしれません

自分が子供の頃、整理整頓や勉強を自らできたか、好き嫌いなくなんでも食べたかってーと全然そんなことないんですよ
でも大人になった今、まぁそこそこなんでも食べるしさして失くし物もしないし取り敢えず職はあるしで別に周りと大差ないわけです
だからぶっちゃけ意味ないと思うんですよね細かい事をクドクド言うのって。寧ろマイナスの影響の方がでかいのではと思います

細かい事をクドクド言う親って、多分子を大人の自分と対等と思ってるというか、大人の自分と同じだけできて当然と思ってる節があるんですよ
しかも都合の良い時だけ

なんで片付けできないの!→子どもだから
なんで野菜食べないの!→子どもだから
なんでこんなのわからないの!→子どもだから

全て子どもだからで説明つくんですよ
子にとって片付けなんて不必要ですからそりゃやりませんて
でも、そんな子も親と同じ歳になればほぼ間違いなくできてるでしょう
もしできないのならば、それはその子の人生において本当に必要ないスキルだったというだけ

育児も人生も結果論です
何が正しかったかなんてわからないし、どうすれば良いかの答えも出ません
だから、親は子に選択肢を与えることが大事なんじゃないかなと思ってます

子は数ある選択肢を無意識ながらも選びながら自分で道を作っていく
その選択肢を1番多く与えることができるのは間違いなく親

思い返せば、自分は特に特徴のない子どもだったと思いますし、何か際立つものもありませんでした
親も人並みに習い事などもやらせてくれましたが、大体は兄弟がやっているからやってみなと始め、続きませんでした
ただ唯一サッカーだけは、やってみる?と聞かれた時、自分からやりたいと始めました
形は変われど生涯のスポーツになることとなりました
そんなサッカーを始める選択肢をくれた親に感謝です

とりとめがなくなりました
毒親という言葉もありますが、親は子にとって支えにもなれば蓋にもなります

私は子の支えになってあげたいなと

心からそう思っています

※トップ画は子が撮った凧揚げの様子です
見事に指が入ってます

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