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視えない変化は何を問う?

身動きは取れないけど、穏やかでない。日々思索に耽っている。

目に視えてないはずなのに、忙しく変わる状況。これをどう捉えよう。何をしよう。当事者なりの整理や理解がないと、どんな夢も空想に消えていきそう。

パンデミックで世界は変わる。緊急事態が解けた先の未来まで、先見する記事を見かける。今は緊張が解けるように願っている。

だけど、いざたどり着いた時、そこに適応して生きていれるのか。自分の、ふつうの見通しに、不確かさを感じずにいられない。

私たちは、私たちでいられるんだろうか?小さく閉じた部屋のなかで、何でこうも慌ただしく生きてるんだろうか?これからどこに向かうのか?

今のこの状況すら分かっていない。普段から自分の状況把握する力を信じていない。他者のことも分からない。気分や目の前の何かに、視線を泳がせてしまう。

だからか、確かめたくなる。自分と周りを取り巻く人の位置、与えたり受けとる関係、それぞれが何を求めるのか。それらを頭のなかから放り出して、自分の外側にカタチとして見定めていく他ない。

状況が変われば、行動も変わる。行動が変われば、意識も変化する。これまでにない意識をもちはじめている人々と、これまでと同じことをしても、同じ結果になると限らないように思う。

もともと他者は分からない。人の思考を探る。洞察を深める。存在ごと憑依する。どんなアプローチで捉えていけるのか。きっと他人事では分からない。

この事態を通じて、生活者のどんな態度変容が考えられるか。生活者の状況。近い将来に私たちが持つパーセプション(認知、意識)はどうなるか。人は新しい世界で、どんなふうに生きていくのか。

この状況はおそらく自分を問うている。故に、自分に好都合な見通し、好都合なふつうの世界から、一歩ひいた先を視ていきたい。変わり続ける状況のなかで、何より自分が当事者であるのだから。

もし、サポートいただけるほどの何かが与えられるなら、近い分野で思索にふけり、また違う何かを書いてみたいと思います。