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日常:2019/4/24 美しい未来と、傍らのデスクトップ土方

連休がなんだ。本人が健康だったとしても、介護や育児に休みなど無く。「だいたいそうだろうよ」だいたいそうだ、としても、みんな適度に休みたいよ。キートン山田さんの声でツッコミを勝手に想像し、勝手にツッコミ返す。なんにしたって、健康第一、生きるの第一。

週末、義務として投票してきた。候補者の経歴を読むほどモヤる。スポーツやってました!経営してました!政治学んでずっと政治家です!地場硬いです!社会福祉の充実!税金減らします!極めつけはICT・AI入れます!よく分からない電話会社のCMのように、美しい未来が待っているのかもしれない。素晴らしい。自分は、自分のことで手一杯だ。それなりに考えて投じたが。

デスクトップに真実がある、という言葉を提唱してるアート界隈の方がいた。少し前なら、それはそれで正しかったような気がするも、今や、誰もが数インチの枠の上、指先の真実と共にある。巨匠のように、大きな枠のなかで視覚の妙を探していても、売れない骨董品が湧いて出る。ワンルームに5人がけのカウチソファを売るようなもの。デスクトップで仕事をしている自分たちは、何を夢みている。何も見ていないのか。目薬を挿そう。

今日も空は、厚い大気に覆われている。高低差ありそうで、そう感じさせない均質の雲と雲。抑圧的で、粘着質で、ジットリと湿度を上げる。その下で、島国の人たちは密集して、緊張を保っている。

新幹線は西から東へと、ただのからだを運ぶ。基本的に作業をしているが、時折気を休める。一瞬一瞬が、まるで時間の大部分を穴埋めして、使い捨てドラマのようになってしまわないか。そんな危惧は思い過ごしか。

連休前に済ませる仕事が山盛り、さてはて、これをなんとかするほかない。気合だ。気合だ。

もし、サポートいただけるほどの何かが与えられるなら、近い分野で思索にふけり、また違う何かを書いてみたいと思います。