「生きがいについてー神谷美恵子コレクション」<神谷 美恵子 著>を読んで

 著者は日本の精神科医。タイトル通り生きがいについて模索する本。

 生きがいについて、普段考えることはあるだろうか?仕事や家庭に追われ、それを考えている時間はあまり無いかもしれない。むしろ、あえて考えないように忙しくしているのかもしれない。それか、もしかしたら考えないように、させられているのかもしれない。
 人はいつまでも働いていけるわけでもないし、いつまでも忙しいわけでもない。ずっと健康でいるわけでもないし、ずっと安定した生活を送れるとも限らない。
 当たり前が当たり前で無くなった時、人はどのように感じ、どのように過ごしていくのだろうか?生きがいについて、初めてそこで考えさせられるのでは無いだろうか?今まで生きがいだと思っていた(楽しいと思っていた)ことは、楽しむように思い込まされていただけだったのではないか?、など。

 著者が焦点を当てているのは、病気を患う、犯罪を犯す、など、何らかの理由によって社会から疎外されている人たちだ。何故、そういった人たちに焦点を当てているのか?それは恐らく、一度全てを失っているからではないかと思う。全てを失って、どん底に陥った人が、何をきっかけに復活(生きがいを見つける)のか?と。
 誤解をしないでいただきたいのは、著者が興味本位で、そういった人たちに取材をしているわけではなく、あくまで、人間として真摯に接しているという点だ。むしろ、全編を通して著者自身の深い悲しみが伝わってくる気がする。著者本人が、自らの悲しみを肯定したい(意味を持たせたい)としているような気もする。

 話が逸れたが、どん底に追い詰められた人の中でも、当然ながら、反応は千差万別である。「同年代の人たちが普通に暮らしている、それなのに・・・」と、怨嗟の気持ちが起こる人もあれば、自分自身と徹底的に向き合うことによって、自己の中に喜びを見出す人もいる。
 地位、名誉、財産、健康に恵まれて一生を送るのと、たとえ肉体的には辛くとも内的な(精神的な)充足感を掴んだ人とでは、一体どちらが幸せだろうか?作中ではっきりと明言しているわけでは無い(無かったと思う)が、著者は内的な充足感についてこそが、人間の希望であると語っているのだと思う。何故かというと、全てを失った時に人に残されたものは自分以外にないからである。

 悲しみや絶望を通じて、精神が広がりを見せると作中では語られている。翻って現代の日本を見てみると、悲しみと正面から向かい合っている人は一体どれくらいいるだろうか?無理にでも、悲しみから目を逸らしてはいないだろうか?悲しみと向き合うことなど、非効率だと言わんばかりに。

以下に、自分の心に残った、考えさせられた箇所を、少しだけですが引用します。

自由を与えられている人間は、たえず罪を犯す危険にさらされているわけで、そのためにたえずきびしい反省が必要となり、たえず謙虚に出直すことが要請されているのだといえる。

結局、人間の心のほんとうの幸福を知っているひとは、世にときめいている人や、いわゆる幸福な人種ではない。かえって不幸なひと、悩んでいるひと、貧しいひとのほうが、人間らしい、そぼくな心を持ち、人間の持ちうる、朽ちぬよろこびを知っていることが多いのだーー。

以前大切だと思っていたことが大切でなくなり、ひとが大したことだと思わないことが大事になってくる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?