「誰がために医師はいるークスリとヒトの現代論」<松本俊彦 著>を読んで

 精神科医である著者の半生記、エッセイ集のような形を取っている本である。
この中で「困った人は困っている人かもしれない。」という台詞が印象に残っている。
 ここでいう「困った人」というのはつまり、迷惑な人ということである。この「困った人」に手を焼いていたり、怒りを露わにしたりする人はいるかもしれないが、「困っている人」だと思える人は中々いないだろう、と思う。少なくとも私は思ったことがない。
 ここにまず著者の他人に対する優しさ・慈愛が滲み出ていると思う。
それは、生温い表面上の優しさとかでは無いと思う。たとえ、その人が何をしようが、本来は根が優しい人なんだと、自分達と変わらない人なんだと、ただ単に今は困っていて、それを表明しているだけなんだ、という、その人(困った人)への根拠も理由も無い信頼感があるんだと思う。そして著者が言いたいのは、その信頼感を持って、困ったこと(人)を受け止める必要がある、ということなんじゃないかと思った。
 現代の世の中は余裕が無いというか、椅子取りゲームみたいな感じで、弱者から落とされている感じがして、すごく窮屈で嫌だなーと思っていたが、この本を読んでいると、何故だか、希望が湧いてくる、までは行かないが後少しだけ粘ってみようかな、という気にさせられる、気がする・・・笑
 いい本でした。

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