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『雲の王国』の感想文

ドラえもんです。
そう。誰もが知るあの猫型ロボット。
猫? いやタヌキでしょ、と思ったあなた。
本当にタヌキでいいですか? よく考えてみて?
実はタヌキでもないよね。
青い雪ダルマか何かだよね。

とまあこんな前書きから始めます。
映画ドラえもん のび太と雲の王国の感想文です。

感想文を書く理由

本文を書く前に、まず書く理由から始めたいと思う。
なぜって、いきなり「雲の王国を見たから感想文を書くね」って人がいたら怖いでしょ。意味分かんないし。
それに俺も「何でこんなこと書き始めたのか」をあらかじめ知って貰いたい。

俺が感想文を書く理由、それは。
「見ててなんかモヤモヤしたから!」

モヤモヤて。
もっと他に言い回し無いんか。
でもモヤモヤとしか言いようがないんよ。
言語化しきれてないし。
そう、今これを書いている時点でも書く内容が定まっていないの。
困るよね。
でも言語化出来てないだけで、形がしっかり決まってないだけでそのモヤモヤは確かにあるんだよね。
こういう不確かなものを明確にするために俺はここにいる。
そう信じたい(遠い目)。

まあ、雲の王国を見たことある人なら多少は分かって貰えるんじゃないかな。
あの映画は面白いんだけど、スッキリはしないんだよ。
一応綺麗にまとまってはいるし、オチもついてるんだけど、でもどこか消化不良。

俺はこのモヤモヤをどうにかして吐き出したい。スッキリしたい。
モヤッとボールを投げまくりたいんだ。
古いか。

そしてそのスッキリ感をこの記事を読んだ人にも共有してほしいというか、「そだねー」って言ってほしいんだ。これも古いな。

まとめると
「視聴後の消化不良感を解消したい。そして、それを共有したい」
これね。
まあモヤモヤを言語化したいってのもあるね。
モヤモヤをモヤモヤのままにしときたくない、ってのも理由の一つ。
じゃあ、そろそろ始めようか。

あらすじ

雲の王国を「もう見たよ」って人が大半だと思うんだけど、見てない人も読むかもだし、「見たけどもう結構前だな」って人も少なくないと思う。
のであらすじ。
あと俺がこの映画をどんな風に受け取っているか・理解しているか、という価値観の共有の意味も含む。

雲の王国

まず「天国は本当にあるのかどうか?」という疑問が物語の始まりと思う。
のび太はあると思い込んでたんだけど、ドラえもんに「天国なんてないよ」と一蹴される。
次に「じゃあ作っちゃおう」と雲を固めるひみつ道具を出して、空に雲の土地を生み出し、城を建てて住居も作り、果ては植物や川などの自然も生み出して一気に人が住めるようにする。
これが映画のタイトルにもある「雲の王国」。

天上世界

ドラえもん達が一通り王国ごっこを楽しむと、今度はこの王国と似たような世界が存在することを知る。
雲の王国と同じように雲を固めて土地にして、その上に大勢の人達が暮らす「天上世界」なるものがずっと昔から存在していたらしい。
ドラえもん達はこの天上世界に、雲の王国と勘違いして迷い込んでしまう。
雲の王国と天上世界は色々と似ていて、外からは発見されないところとか、雲を固めて土地としているところとかほぼ同じである。

地上人と天上人

いきなりやってきた地上人であるドラえもん達に、天上人は驚くものの一応は歓迎した。
天上人は地上よりも遥かに優れた文明を築いてはいるが、基本的には地上人と同じ「人間」であり、ほんやくコンニャクなしで言葉も通じるらしい。
天上人達はドラえもん達に天上世界を案内し、食事を振る舞い、寝床を提供した。
ドラえもん達は最初は楽しんだものの、どこかよそよそしい天上人達を不審に思い、ついには「家に帰りたい」と言い出し天上世界を出ることにした。

ノア計画

だがそうは問屋がおろさない。
実は天上人は地上人の文明を一掃する「ノア計画」なるものを実行する直前だったのだ。
天上人にとって、この計画が事前に地上人にバレる訳にはいかなかった。
地上人が環境破壊をするせいで、天上世界では環境汚染による健康被害が起こっており、天上人は次々に他の星へと移住していき天上世界の人口が激減していたのである。
特に、最悪の場合には核戦争によって世界が滅んでしまうことを天上人は危惧していた。
そこで地上のすべての生命を一旦天上世界で保護した上で、文明のみをすべて滅ぼし、地上人には原始の生活に戻って貰うというのがノア計画だ。

ドラえもん達はノア計画を知らないまま天上世界を脱出しようとしたが、天上人に阻まれ一度は失敗する。
最終的にしずか、スネ夫、ジャイアンの三人は天上世界に留まることになった。
しかしドラえもんとのび太の二人だけは天上世界を出ることに成功する。
そこでノア計画の存在を知り、このままでは地上文明が滅びることを知った二人はノア計画を中止させるために、ある切り札を用意した。

雲もどしガス

雲を固めたひみつ道具があるように、固めた雲を戻すひみつ道具も当然存在する。
それが「雲もどしガス」である。
天上世界の土台である「固めた雲」をすべて「普通の雲」に戻すことにより、天上世界を滅ぼすことが出来るというガスをドラえもんは用意した。
もちろん平和を愛するドラえもんは実際に使うつもりはない。
しかしノア計画を止めるためには、相手を交渉のテーブルに着かせるためには、最低限の武力を保有せねば対等に話せないというのがドラえもんの考えだった。

雲もどしガスを切り札として交渉しようとしたドラえもんだったが、とある地上人の悪者にガスを奪われ、ドラえもんの意図に反してガスは天上世界の一部を焼いてしまった。
そこは無人だったために幸いにも死者は出なかったが、天上人は重要なエネルギー供給を担う施設に壊滅的打撃を受けた。
このままでは天上世界が滅ぼされてしまうと、ドラえもんは自分を犠牲にしてこれを止めた。

植物星

こうして天上人はドラえもんに命を救われた形になり、ノア計画を中止にすべきではと声が上がったところで、天上人が移民の受け入れを頼んでいた植物星の大使が仲裁に入った。
植物星は大気が綺麗であり、環境破壊に苦しむ天上人にとっては絶好の移住先である。
その大使はこう言った。
「地上人は環境破壊を反省し、今後は環境の回復に努めるだろう。地球の環境が改善されるまで、植物星は天上人の移民をすべて受け入れる」
こうして、地球の未来は今後の地上人の振る舞いに掛かっていると話は締めくくられた。

あらすじ長くね?
書いてて疲れちゃった……。

モヤモヤ

さて、これでようやく本題に入れるね。
雲の王国をまだ見てないって人も、上のあらすじを読んでちょっとモヤっとしただろう。
もしモヤってないって人がいても、これから俺が感じたモヤモヤを説明をするので心にモヤモヤを新たに生み出して欲しい。
巻き添えにするね。

主張、強くね?

はいドン。主張が強い。
いきなりだねえ。
でもまあこれだよね。
この映画、めっちゃ主張が激しい。
「人間、環境破壊しすぎ!」
それはまあごもっとも。
俺も環境破壊は良くないと思う。
でもさあ……。ドラえもんでやることじゃないよね……。
当時は確かに色々言われてたよ。オゾンがどうとか。
でもドラえもんって子供の聖域じゃん。
そこにズカズカ大人が入り込んできてさあ……。
環境破壊やめようって言っても、子供に出来ることなんてほぼ無いよ。
子供達が楽しんでるドラえもんっていう場所でいきなり声高に言っていいことじゃないよね。
発言内容が正しくても、発信方法が間違ってたら、少なくとも発信方法に関しては俺は指摘を入れたい。

環境問題というテーマを安易に消費している

ちょっと話が変わって、これは別の漫画からの引用なんだけど、漫画「鈴木先生」でさ、キャラクターの鈴木先生がこう言ってたんだよ。
ホント彼はいいこと言うよ。

「もしもこの芝居を見た者たちに、安易に『人が人を裁くことは簡単ではない』などという感想を抱かれたらその芝居は失敗だと思え!」
「そんな他人事のような距離感ですらすらと感想が出るようでは、作品のテーマを気軽に消費して『ためになった気分』を味わっただけに過ぎん!」

鈴木先生のセリフそのままでは無いけど、まあ上記のようなことを言ったんだよ。
この雲の王国は環境問題に対して主張が激しいけど、かと言ってその主張に視聴者の心に強く訴えかけるだけの重さもないと俺は思った。
別にもっとリアルに生々しくしろとは言ってないよ。
でもドラえもんみたいな子供向けアニメーションであっても、演出次第ではそれなりの重厚感を持たせられる。
環境問題というテーマを身近に感じさせる、他人事じゃなく自分が名指しされたかのような、責任という言葉を噛み締めざるを得ないような気持ちにさせることも十分可能だと思う。

「ドラえもんは子供の聖域なんだから、大人が環境問題のような主張をする場として相応しくない」
と先ほど言っといて、舌の根も乾かぬうちに「主張が弱い」と言っているように聞こえるだろうか。
だけどこの「子供の聖域なんだから」にも通じる話なんだ。

「子供向け」じゃなく「子供無視」映画

いくら子供と言えど、しっかりと分かりやすく説明されれば環境問題のような自分達ではどうしようもないテーマであっても、安易に消費することなく心を成長させる糧としてドラえもんを楽しめる。
しかしこの映画では「大人なら理解できるけど子供に対しては説明不足」と言っていい。
絶滅動物、酸性雨、密猟、オゾン層破壊、核兵器。
これらを映画内で取り上げているが、子供にいきなり突きつけてどれだけ理解出来るだろうか。おそらく「ふーん」で終わりだと思う。
大人なら事前知識があるが子供にはそれが無い。
もっと言えば大人にだって知識はあっても実感としては薄いだろう。
こういったテーマを問題にする場合は複数の事象を取り上げるのではなく、一個の問題に絞って深く掘り下げたほうが確かな効果がある。
もし問題提起に成功した場合、類似する他の問題に対しては自発的なアプローチを期待出来るからだ。

しかし『雲の王国』では環境問題というテーマについて象徴的な事例を浅く広く取り上げている。
言わば「環境問題を取り上げたいから環境問題を取り上げた」感だろうか。
ドラえもんの皮を被って大人が言いたいことを言った、しかも「いいことを言ってるんだから許される感」すらあったと言っていい。
「大人が自分の意見を言う道具として、子供の聖域たるドラえもんを利用した」
これが俺の感じたモヤモヤの正体かも知れない。

終わりに

どうだっただろうか。
ここまで読んで、あなたはスッキリできただろうか。
ちなみに俺は結構スッキリした。

『雲の王国』は肯定的な意見をよく見るし、俺としても決して楽しめなかった訳ではないが、やはりどうしても喉に小骨が突き刺さっていてしょうがなかった。
しかしこうして長文を書いてみることで、ようやっと全部腹に収まったと思う。

ごちそうさまでした。
ノシ

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