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初めての入院&手術のことを語りたい。その6

こちらの記事は、『右眼真菌性角膜潰瘍』を発症し、それが元で初めての入院と手術(『右眼強角膜移植手術』)を経験した筆者の体験談をまとめています。

発症からすでに10日あまりの、2023年11月10日(金)。
薬の適合を調べるため、市民病院へ再び通院しました。
具合が悪くて、父親に乗せてきてもらいました。

8度目の通院

この日は初めて女医にあたりました。
顕微鏡で私の右眼を覗くなり、「あまり良くないですね」と。

頭痛も吐き気もあった頃。
診察室へ呼ばれるまで、椅子にもたれかかって待っていたのを、おぼろげながら覚えています。

女医の診断は、次のようなものでした。

  • 明らかに腫れがひどくなっている

  • 来週水曜日の通院まで時間をおけない

  • 大学病院へ紹介状を書くので、今日、通院されたし

大学病院と、隣の市の市民病院でどちらがいいかを尋ねられましたが、より最新の治療ができる大学病院を選択しました。

10:00すぎに市民病院で診察。
11:00には紹介状を書いていただき、父に迎えに来てもらったその足で、職場に寄り、事情を説明しました。
同僚らは、大学病院で診てもらうのなら安心だと、快く送り出してくれました。

12:00すぎに自宅に着いて、文字どおり、そのへんにある食べられるものを準備し、そのまま車へ。
12:30すぎに駅に到着し、13:00発の新幹線に乗り、杜の都を目指しました。
駅について、そのままタクシーで大学病院へ。
到着は、14:00になろうという時刻でした。

ついに大学病院へ

受付で紹介状を見せ、4階の眼科へ向かいます。
予約は14:00。
私の番号は、3,000番台。
しかも、後半のほうだったと思います。

こんなに患者がいるのか……。

総合病院だからなのかもしれませんが、私にとっては、驚きの光景でした。
どこを見ても、人、人、人……。

眼科のあるフロアも、中にも外にも椅子は並べてあるのですが、どこも満席です。
そして、患者だけでなく、付き添いの人も、体温と体調について一筆残していくように言われました。

受付でもらった番号がアナウンスされると、診察室へ入れる仕組み。
アナウンスの声も、若い医師が多いことを物語っていました。
お年寄りなのか、はたまたどこかへ出掛けているのか、何度も同じ番号が呼ばれています。

通い慣れた今だから言えますが、眼科はいつでも患者がいっぱい。
広い検査室に撮影室、処置室は4ブース(さらに診断室、予診室なるものもあります)、診察室だけでも、13室ほどあります。
平常時でも待ち時間があるのだから、初診となれば、さらに時間がかかってしまいます。

スマホでゲームをしながら待っている……というわけにもいかず、待ち時間中にも点眼の時間が来るので、それだけはきちんとやっていました。

この日、初めて患部の写真を撮ってもらいました。
怖くてしばらく直視していなかった右眼は、自分でも怖いと思うくらいに赤く腫れあがっていて、黒目の中に白いものが見えました。

大学病院では、ベテランの医師と若い医師のチームで診療にあたります。
必ず数人の医師が、写真を見てくれます。

大学病院では通常のことなのでしょうが、ここでも私は、いつもの病院との違いを目の当たりにし、おもしろいなぁと思いました。

この日の診察は、17:30までかかりました。
そして、原因はこの日もわからなかったのです。

伯父の家に泊めてもらう

診察を終えて1階へ降りると、総合受付はすでに閉まっていました。

自宅まで帰る体力がないと父に伝えたところ、近くに住んでいる、父の兄である伯父に連絡をとってくれ、一晩泊めてもらえることになりました。

突然電話したにもかかわらず、伯父は病院までマイカーで迎えに来てくれ、伯母の手料理をごちそうになりました。
数年前まで介護で使用していた部屋(部屋の中に洗面台とトイレ完備)を準備していてくれ、お陰で快適に過ごせたのです。

おくすり手帳には記録がありませんが、この日は、眼軟膏をもらってきたような気がします。
(病院の薬局で詰めてもらった、適量を出すのが難しいチューブタイプのもの。名前は忘れてしまいました)

疲れているはずなのに、痛みでなかなか寝付けなかったのを覚えています。

でも、とりあえず今はゆっくりできる……。

知らず知らずのうちに、気持ちが張り詰めていたのかもしれません。


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