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初めての入院&手術のことを語りたい。その1

今回から、私が入院・手術をするまでに至った経緯をまとめていきます。
ひとつの体験談として、同じように不安を抱えている方の助けになれば…。
また、現在、健康体であっても、自分を過信するのは危険だよというメッセージを少しでも伝えられたら……そう思います。
少なくとも、noteで投稿を始めた「2023年10月12日時点の私」は、自身が今このような状態にあることを想像もしていませんでした。

私の病名は、『右眼真菌性角膜潰瘍』
2023年12月に『右眼強角膜移植手術』を受けました。

症状が出てからこの病名に辿り着くまで……本当に長い時間がかかりました。

発症まで

2023年の10月。
当時の日記によれば、私は、1か月後に迫った劇団の公演の準備と、職場での舞台業務、そして、春からあらたに加わった総務系の仕事に追われていました。

近視のため、小学校高学年から眼鏡をかけており、自分で稼ぐようになってからは、両眼ともコンタクトレンズを装着して過ごしていました。
一日使い捨てのタイプを起床後につけ、入浴前に外すという、普通の使い方をしていたと思います。

幼い頃から体力には自信があり、特に大きな怪我や病気もしたことがありません。
それだけに、知らず知らずのうちに疲れをためてしまい、突発的に蕁麻疹が出たり、良性発作性頭位めまい症が起こったりということはありました。
ですが、いずれも数回の通院と医師の適切な処置で、薬の服用や点滴で回復していたのです。

根を詰めるタイプだとよく言われます。
『自分が無理をすれば、なんとかなる!』『やればできる!』
……そう思って生きてきました。

発症

忘れもしない、2023年10月26日。
その日は、朝から夕方まで、仕事で舞台対応をしました。

舞台上には、緞帳(どんちょう)や袖幕(そでまく)と呼ばれる幕類、照明器具や仕掛けなどの吊り物を吊るバトンなど、さまざまな装置があります。
それらは通常は舞台の天井に格納されており、使用用途に応じて適切な位置まで降ろして使います。
いつものように、私はその日も相棒と共に舞台を調整し、照明器具を調整し、袖(そで)と呼ばれる舞台の脇のスペースで、舞台上の照明を点けたり消したりという作業をしていました。

舞台の対応は、1階と2階だけでなく、天井裏も昇り降りする体力勝負。
主催者の意向も汲みながらの対応になるので、神経も使います。

…ですが、それが舞台。
私にとっては、いつもどおりの対応でした。

今思えば、眼が疲れていて、「早くコンタクトを取って、眼を洗いたい!』と思っていました。
痒みがありました。
そして、勤務先の駐車場に停めたマイカーの中には、何かあった時用の、未使用コンタクトレンズも積んでありました。
…でも、使用状況で眼が痒くなることは、これまでにもあったことでした。

本番中にその場を離れるわけにもいかず、結局、夕方までそのまま舞台の対応を続けました。
そして、その日の夜間は劇団のホール練習。
公演前に1回だけおこなわれる、当日の会場を使用しての貴重な練習日だったのです。

……職場にそのままぶっ続けでいた私。
劇団のメンバーには「眼どうした?」と聞かれました。
練習のあったその日の夜には、すでに右眼は、パッと見ただけでわかるぐらいに真っ赤に腫れていました。
私は痛む右眼をこすり続け、だましだまし練習に参加したのです…。

練習を終え、22:00頃、帰宅。
すぐにコンタクトを外しました。

今までにない炎症。
鏡に写る右眼は、これまでにないぐらい、赤みを帯びていました。

いつものようにアイボンで目を洗って、目薬をして……。
型通りのルーティンを済ませ、なんとか眠りにつきました。

……真夜中。
右眼に強烈な痛みを感じて目が覚めました。
痛みで起きるなんて、私にとっては初めての経験でした。

目薬を何度さしても、痒みと痛みはおさまりません。
でも、一晩眠れば少しはひいているだろう…。

そう自分に思い込ませるしかありませんでした。

(naotanu様、素敵な写真をありがとうございます♪ )



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