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前向きに諦めて生きていく

 私は頭の足りない人間だった。工夫とか改善みたいな事ができなくて、いつも同じ失敗を繰り返してばかりだった。学校の試験前に何度も繰り返しワークを解いたり、塾の自習室に遅くまで残って勉強していたのに成績が上がらなかったし進学も就職も中途半端だった。

 また私はフィジカル面でも足りていなかった。運動部に入っていたけど試合成績は1番悪かったし、社交性が低く、人間にもあまり興味がなかったから、社会に出てから家族や友人以外の人達と円滑にコミュニケーションを行うのにかなり苦労した。


 頭の足りない私は自分が足りていない事をちゃんと認識していなくて、痩せたいなとか新しい服欲しいなとかそんな事しか考えていなかった。だけど就職して、少し物が分かってくると、自分があまりにも足りない部分が多すぎる事に気が付いてしまって必死に足りないものを埋めようとした。

 営業の仕事をしていた時はコミュニケーションスキル、心理学、営業マンの心得みたいな本を読み漁って話術を学ぼうとしたり好きでもないサークルや飲み会に顔を出して人と話すのが好きな人になろうとした。
 オフィスで働くようになってからは人の話を素早く理解したり問題の本質を掴んだりできる、所謂頭の良い人になるために自己啓発本を読みまくった。それに影響されてPDCAや自分の振返りや思考整理などありとあらゆるノートを作った。

 そういう事をしているうちに気がつけば30になろうとしていた。自分があれだけ必死で身につけようとしたスキルが何一つ身についていない事が人事評価ではっきり思い知らされる。自分より仕事ができる同期や後輩を見るのが辛かった。


 数年前の自分ならもっと頑張ろうと思っただろう。だけど、私はエネルギーを無駄に消費しすぎてしまったのかもしれない。元々どの項目も人並み以下の自分が必死に頑張った所でようやく人並みかそれよりちょっと下くらいの結果が出せる程度だろう、しかも元々優れている人達が努力したら絶対に勝てない、そんな思いがまず頭に過ぎってしまう。というか、私自身仕事に対して何かビジョンがある訳でなく、完璧人間になりたいだけで仮にその人達に勝てたとしてもその後そこに自分の幸せを見出せるかすらも分からない。こういう想像力がないところが頭が足りないところなのだろうな。


 あと、数年前の私ならこの状況に完全にメンタルが闇堕ちしていたと思うんだけど、この歳になってようやくうっすらどうでもいいかなと思えるようになってきた。理想にしがみつくと現実とのギャップに心が荒み、周りの人に対しても良くない対応をしてしまい、その結果自分の評価を下げるという悪循環に陥ってしまう。しかも周りを見渡してみると、自分の評価に頓着しない人達の方がプライベートを楽しんで仕事での評判も良い。最悪の空回りだ。

どうでもよくはないけど、どうでもいい。この感覚を大事にしていきたい。




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