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努力の考え方

「才能がないなら努力しなさい」、「努力できることも才能だ」という双方の考え方はよく聞きます。恐らく、現在世の中で主流なのは、前者の方であると思います。

自分は数学が苦手で受験勉強でも苦労した思い出がありますが、1人の友人は数学の勉強をあまりしていないのに、いつも高い偏差値を出していました。当時その友人は数学のセンスがあり、私にはそのセンスがないから努力で補わなければならないんだと感じていました。一方で、そもそも受験勉強という苦行のようなものに対して、長時間勉強するという努力はなかなかできないという人も周りにいました。

しかし、先日「ブルーピリオド」という美術系の漫画を読み、才能がないから努力する、あるいは努力=才能という二元論にとどまらない考え方に気づきました。それは、「努力は環境による」というものでした。

言われてみると当たり前のように感じますが、塾講師をしている自分にとって実感していたことと重なります。というのは、私は、通う高校の偏差値によって、ある程度勉強に対する意識は決定されると考えています。周りの人の勉強に対する意識やレベルが高い場合、自分もそのレベルに遅れてはならないという意識が芽生えやすいと思います。
しかし、周りも勉強に対する意識やレベルが相対的に低い場合、自分も努力をしなくても大丈夫だという考えに至る可能性が前者の場合に比べて高いような気がします。

また、塾は、個人が置かれる環境で勉強に対する努力をできない人をサポートするための二次的な環境として成り立っているのだなぁと感じました。

もちろん、経済的、社会的要因によって、勉強をすることが厳しい環境に置かれている人も当てはまるとも思いますが。

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