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Review:「すべて未知の世界へーGUTAI 分化と統合」(大阪中之島美術館、国立国際美術館)

切り裂いてなお、戸惑う──白髪富士子と具体
文:懶い

早くも1955年に制作されていた田中敦子の《作品(ベル)》で大阪中之島美術館の展示は幕を開ける。来場者がスイッチを押しているあいだ、高らかなベルが鳴り響く。同年の第1回具体美術展でも展示され、1階、2階にまたがる会場を音で駆け巡ったこの作品の持つ性質を、白髪富士子はメンバー間の相互批評において次のように的確に言い当てている。

「やかましいベルの音は、すきなだけ、むさぼりたいだけのものをむさぼらせてくれる。いくらとっても構わない。[中略]それは、スイッチを押した人に丈貰える。私はそう思った。他の人が押して鳴らせたベルは実にやかましい。自分で押せば、自分の欲する丈のものがとれる」(*1)。

続けて彼女は、それが創造をしない人間をも「創造するというぎりぎりの限界」に立たせるものであり、したがってこの音を鳴らし聞くことは喜びであると同時に「極限までの責任」を負うことになると述べる。このように《作品(ベル)》を捉えるならば、同じ態度がこの展覧会全体を見るために要求されていると言えるだろう。というのも、本展は具体美術協会(以下、具体)内部の繋がりや変遷、外部との関わりや影響関係、あるいは批評言説といった美術史的な事項の一切を捨象し、年代も様式もばらばらに作品を並べ、それによって個々の作品そのものとの対峙を促すからだ。

音や動きの有無によらず、どうしても賑やかな作品が目立つ。吉原治良の円、白髪一雄の足を使ったアクションペインティング、松谷武判のボンドを膨らませた絵画、定期的に点灯される田中敦子の電気服、あるいは山崎つる子のピカピカした画面に見られる工業製品や大量生産品への目配せといった、具体を代表する作家が発するエネルギーと並べてみたとき、白髪富士子の作り出したものは息もできないほど静かだ。

本展で展示される《白い板》は、そのタイトルが示す通り、細長い白い板を縦にうねうねと切り裂き、少しだけ隙間をあけて斜めに立てかけるように設置したものである。それは自然現象の表象ではなく、自分のうちだけにある観念を象徴しようとしたものであるらしい。外部から受け取った観念ではなく、自己そのものをなんらかの形にすること(*2)。

その後、彼女は和紙を裂いた作品を制作し始め、さらに割ったガラス、和紙と絵の具などを用いた重層的な作風へと展開する。1961年にはぷつりと制作をやめて一雄のアシスタントに徹するのだが、後に語るところによれば、「色々後から変化をつけてしたものよりも、初めにただ一筋の道、という感じ」だった初期の作品が気に入っているという(*3)。ミシェル・タピエがもたらした具体グループ全体の変化である、複雑なタブローの増加が彼女の志向になじまず、筆を折ることに繋がったのではないかと推測する向きもある(*4)。

白髪富士子《作品》1961、宮城県美術館蔵
画像出典:『すべて未知の世界へーGUTAI 分化と統合』大阪中之島美術館、国立国際美術館、2022年


大阪中之島美術館で展示される《作品》はまさにグループ脱退の直前に制作されたものだ。彼女の絵画作品を徴しづける大小のガラス片は、決して嶋本昭三のガラス瓶の破片のように、行為の痕跡として偶然その位置に残されたものではない。青黒く塗られた麻布の地の画面真ん中より少し上には尖った三角形と五角形の大きなガラスが配され、和紙と青地がつくるコントラストに導かれて視線を下げると、大きなガラスからこぼれ落ちるように細かなガラス片が凝集し、その鋭角は更に下方を指し示している。

ガラスはこうして視線を集め、タブローに動きをもたらす「図」である一方、もうひとつの図の要素である和紙に完全に覆われて埋もれることもあれば、画面左側では紙を破る際の定規のような役割を果たしており、何重かに貼り付けられた紙の破れ目が浮き上がったまま乾いて固定されることで、その痕跡が残されている(とはいえ、紙はガラスの上に貼られているため通常の定規の使い方ではない)。その破れ目は少し離して配された三角形の小さめのガラスとの間に通路を作る。この場所が一番深く、かたく、するどく見える。

図と地、あるいは道具と表現のめくるめく多義的な使用に戸惑いながら向き合わなくてはならない。紙は普通、その上に何かが描かれる地となるはずのものだ。ガラスは下敷きになったかと思えば、図になり、さらにその上から白い絵の具とボンドのような樹脂が塗られて画面は複雑さを増す。一見青色に見えるガラスはよく見ると背景の青を透かしているだけで、それ自体は透明だ……であれば、作品の保護ガラスのような、しかしそれでいて割れ砕けたものを思い浮かべることさえできる。

白髪富士子《白い板》1955/85、兵庫県立美術館(山村コレクション)蔵
画像出典:『すべて未知の世界へーGUTAI 分化と統合』大阪中之島美術館、国立国際美術館、2022年


彼女の制作の出発点が白い板であったことを思い出そう。ここに見て取れる裂け目は、切り抜かれたものではなく、少し離して並べることで突如としてあらわれた、なにもないはずの道だった。「天空を走る裂目」(*5)。だからその通路が図であると言えば言えるのだが、そこには何もないし、もともと何もなかったし、向こう側が見えているだけだ。では白い部分が図なのかと言えば、裂け目が眼目であることを思えばそうとも言いづらい。ガラスを割って並べる、貼った紙をちぎることで通路が開かれることは、このような観念的な作業の延長線上にある。図と地、あることとないことを混乱させ、戸惑わせながら、一瞬の切り裂きではなく、糊が乾くまでの時間を含みこむような大作へと展開したのだ。

ところでこの《作品》は、国立国際美術館会場に展示される横位置のカンバスである《作品No.1》と使用される手法を同じくするが、後者では青い帯が画面を下まで縦断している点が大きく異る。それに対して《作品》は、白い紙の面が青い流れを受け止めるように閉ざしているのだ。引いて見ると、3本の太い筋が合流し、画面下方で閉じ、そこに留まるように見える。切り裂きは中断し、それゆえにより微細な、無数に分散された間隙が目を引くことになる。たとえば波打って浮き上がった紙と支持体の隙間。画布から浮き上がったまま固定した紙の縁。それはなにかほんの少し条件が違って彼女が作家としての活動を継続していれば、切り裂き以降の白髪富士子があったかもしれないことを予感させる。

ここに派手なアクションはないし、人間や風景の表象のようにとっつきやすくもないし、コンセプトを飲み込んで終わりというわけにもいかない。制作期間の短さが彼女の作品を語り、評価することを難しくしていることも確かだ。しかし、ここには内的な論理があり、展開があり、作家が気に入っていないと言っても、それが極めて精錬された形で画面に定着している。具体が歴史化されていく中で白髪富士子が主役の位置を占めることがないとしても、彼女の作品が持つ強度は見る者を「ぎりぎりの限界」に立たせるだろう。


*1『具体資料集:ドキュメント具体1954-1972』芦屋市立美術博物館編、1993年、p.282。

*2 同上、p.275。 抽象を描きながらも、摩耶山のネオンサインや川のイメージ、自然界にあるさまざまな「かたち」を発想源としてあっけらかんと挙げる元永とは対象的に、白髪はなにかを描くこと、ひいてはそれが「なにかに見える」というメタフォリカルな解釈をも拒絶するだろう。

*3 「白髪一雄オーラル・ヒストリー 2007年9月6日」日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイブhttps://oralarthistory.org/archives/shiraga_kazuo/interview_02.php

*4 Midori Yoshida "Shiraga Fujiko: Straight to the Sky" HAND PAPERMAKING vol.35 no.1 summer 2020.

*5 『具体資料集』p.275。


懶い|ものうい 
1995年生まれ。住宅街育ち都会暮らし。文学研究見習い。浄土複合ライティング・スクール四期生。

「すべて未知の世界へーGUTAI 分化と統合」
会場:大阪中之島美術館、国立国際美術館)
会期:2022年10月22日ー2023年1月9日

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