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「はちのこ」と「おたぐり」

昆虫食とか

 昆虫食が少し話題になっていました。昆虫食はなぜか食肉の生産効率と絡めて語られることが多く、ちょっと不思議です。
 畜産による牛肉の生産はたしかに食糧供給の効率としては悪いはずで、世界的な食糧難の状況にあっては批判の対象となるのはもっともな話です。ただ、昆虫が牛肉の代わりになるはずはなくて、それは味がかけ離れているからです。
 個人的には大豆ミートはある程度まで普及すると予測しています。大豆ミートは加工技術次第で食感がかなり良くなるので、食肉と同じようなカテゴリーに食い込んでいけるポテンシャルがあります。
 牛肉は今でも高価な部類の食肉です。食糧問題として考えるなら経済的な条件によって牛肉の消費を抑えることを考えたほうがいいでしょう。また飼料となる穀物の輸入をコントロールすることなどがよりダイレクトな話になると思います。

 私は食には貪欲なほうで、エスニック料理も好きだし、知らないものはだいたい食べてみたいと思うほうです。虫に関しては味覚とは別の部分で苦手なのですが、それでも食材としての昆虫を否定する立場にはありません。
 数年前に関西から長野県に引越してきて、この地域で伝統的な昆虫食があることを知りました。いなご、ざざむし、はちのこなどです。
 いなごは少しかじってみて、味は単純に佃煮の味だったのですが、やはり気持ちの面でつらいところがありました。ざざむしもビジュアル的に私には難しいです。
 まだ食べられたのが「はちのこ」です。こちらも好きにはなれませんでしたが、味が美味しいということはわかりましたし、脚や触覚が無いので食品と認識しやすいところがありました。
 一度韓国に行ったとき、蚕の幼虫をおつまみ的な感じで調理したポンテギが出てきて、一口食べたりしました。やはり幼虫や蛹の形状はまだ抵抗感が少ないようです。

「はちのこ」はどこから来る?

 長野県の「はちのこ」がどのように生産されているかということを、私はつい最近まで考えていませんでした。あるお店ではハチミツと並んで「はちのこ」が売られていたため、てっきりハチミツのような養蜂業によって生産されるのかと思ってしまいました。
 しかし、調べてみると日本で食される「はちのこ」のほとんどはスズメバチの幼虫だそうです。スズメバチは民家の軒先なんかに巣を作ることがあるのですが、強力な毒を持っていて危険なので駆除されます。そして、どうやら駆除したスズメバチの巣からその幼虫が入手され、食用として「はちのこ」になるようなのです。
 「はちのこ」は人が育てた蜂で作っているわけではなく、天然の蜂を駆除した際の副産物として作られていたのですね。つまりこれは、ジビエだったのです。

 山の多い南信にあっては熊・鹿・猪といった野生動物のお肉が店でも売られています。これらは狩猟免許を持つ人たちが獲った天然もので、ジビエのお肉です。
 穀物(農産物)を消費せずに得られるわけですし、もともと必要があって駆除した害獣を地域資源として食材などに有効活用するのは良い取組みだと思います。地域で消費すれば完全に地産地消、フードマイレージが非常に少なくすみます。
 このジビエのお肉と同じ地域的な循環が「はちのこ」にもあったわけですね。

「おたぐり」はどこから来る?

 「はちのこ」と同様に、南信地域で特有の食文化として「おたぐり」というものがあります。馬の腸を使ったもつ煮込みです。
 独特の臭みがあるので好みが分かれる料理ですが、基本的にはもつ煮込みなので牛や豚のもつ煮込みを大味にしたような感じです。何度かスーパーで買って食べ、牛のもつほどの旨さはないものの、弾力のある歯応えで味が染み出すので焼酎など強めのお酒に合う気がしました。

 この地域の郷土料理と言われる「おたぐり」ですが、食文化として根付いたのは野生の馬が生息する地域だったからなのかなと推察します。スーパーでは馬肉も売られています。
 ところが、スーパーで売られている「おたぐり」や馬肉の生産地を見てみると驚きます。だいたい、ウルグアイとかカナダとか、そのあたりが産地として書かれています。これは生産者直売の野菜などを扱う店であっても同じで、馬肉と「おたぐり」はほぼアメリカ大陸からやってくるようです。

 料理としての「おたぐり」はたしかに郷土料理かもしれません。しかしその材料になる馬は、地元では生産されないのです。「おたぐり」を通販で販売する店もあるようですが、フードマイレージは相当なものと推測できます。

食文化として

 「はちのこ」と「おたぐり」、どちらを食べるかと聞かれたら私個人はおたぐりのほうがいいのですが、食文化としてどちらを大切にすべきかと聞かれたら、「はちのこ」を推すしかない気がしています。
 ものを食べるという行為は、目の前の料理と自分の味覚だけで味わうものではないと思っています。多かれ少なかれ、自然界と自己との循環を、地理的に離れた世界と目の前の食卓とのつながりを、味覚と同時に味わうものだと思います。


鰊が地下鐵道をくぐつて食卓に運ばれてくる。

安西冬衛

 上は私の好きな詩です。
 しかし今の時代、自由経済が主導する生産と消費の循環にいろいろな歪みが露わになっていて、遠い場所から運ばれてきた食品を素直に豊かさとだけ受け取ることは難しくなっているなぁと思います。
 先日も海なし県にあって新鮮な魚を出してくれるお店で食事を楽しませていただいたのですが……。いつか鰻が絶滅したときに自分が食べたから絶滅したのだという自責はしたくないと思って鰻を控えていたりもします。

 個人が難しく考えて責任を負うべきことではないのですが、世界の動きを知ったうえで自分の振る舞いを決めたいし、食文化を楽しむときにも最低限の知識を持ってなるべくなら無責任なことを言いたくないなと思ったりします。


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