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カンボジアにある日本人の名前が付いた村 「ナカタアツヒト村」

こんにちは!カンボジアのマイクロファイナンス機関「JC FINANCE PLC.」でインターンとして働いているナオです!

カンボジアに来て、もう4か月… あと少しでJC FINANCEのインターンシップも終了です。日々、自分の力不足で、トホホ…(´;ω;`)な気分になることもありますが、その分、普段中々出会うことのできない人とお話しして視野が広がったり、カンボジアならではのハプニングやサプライズを体験するなど、刺激的な毎日を過ごすことができています!

今日は、日本に帰った後もこのカンボジアでの経験を活かすため、なぜ私がカンボジアに来たのかを再認識するために、私がこの国でのインターンシップを希望した理由の1つをお話ししたいと思います。

皆さんがご存知の通り、カンボジアは、様々な面において目覚ましい発展を遂げています。プノンペンに滞在しているとそのスピード感を肌で感じることができます。急激な経済発展と共に、数世代に渡って作られたアンコールワットなどの世界遺産を訪れるために世界中から多くの観光客が訪問しています。

カンボジアに初めて来て、この国のイメージがガラッと変わった人も多いと思います。私もその一人でした。

また私は歴史を学ぶことがとても好きです。カンボジアの歴史にも興味を持っていた私は、カンボジアに訪れる前、この国を連想させるキーワードとして「ポル・ポト政権」「クメールルージュ」「大量虐殺」「地雷」などマイナスなイメージを思い浮かべていました。

これらのワードにピンとくる方も多いと思います。1975年から1979年にかけて、カンボジアは王国始まって以来の悲しい時代、ポル・ポト時代を迎えることになります。

一説には、眼鏡をかけていると勉強が得意そうだからという理由で処刑される…など。医者、公務員、先生など、知識人と呼ばれる人々が次々と処刑され何百万人が虐殺されたと言われています。その名残からか、今でもカンボジアには年配の層が極端に少なく、若年層が極端に多いというのが現状です。JC FINANCEのスタッフの中にも、祖父を殺されたというメンバーもいます。

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カンボジアが激動の時代に突入した代償により、選挙のシステムや貨幣の再発行など全ての社会の基盤を基礎から作り上げていた1990年代に、一人の日本人が、カンボジアに任務に就くことになります。

その人が、私が今回紹介したいと思っている、中田厚仁(なかたあつひと)さんという人です。

中田厚仁さんは、1993年、カンボジアの総選挙を公正に行うための、国連選挙監視ボランティアとして参加していました。当時、まだ情勢が不安定であり、ポル・ポト派が多く存在すると言われていたカンボジアの村々に赴き、民主主義の大切さを訴えていました。

こちらの動画を見ていただければ、中田厚仁さんがカンボジアでどのようなことをしていたのか、詳しくわかると思います。



英語を駆使して、村々を周り、カンボジアの人々に選挙を通じて、自身の意見を述べていくことの大切さを訴えていました。時には川を泳いで、村を訪問することもあったようです。

しかしながら、選挙目前に射殺され亡くなりました。25歳の若さでした。

私はこのとき、生まれてはいませんでしたが、様々な文献を見て、中田さんが若い人たちに「国際協力」という言葉を浸透させたことがわかりました。

動画にもあるように、カンボジアの平和のために人生を全うした中田さんの想いは、カンボジアの方の心にも確実に届いていました。

中田さんの四十九日の法要の日に行われた総選挙では、中田さんが命を懸けて奔走した活動地域の投票率はなんと99.9%に上ったそうです。

その後、厚仁さんのニックネームである”アツ”の名が付けられた村や学校が作られました。

私も、YouTubeに上げられている上記の動画を見た後、ちょうど春休みだったこともあり、思い立ってカンボジアに渡航し、コンポントム州にあるナカタアツヒト村の周辺にある小・中学校になんとか訪問することができました。

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厚仁さんのローマ字の頭文字である”A”の石碑が中央にある。

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小学校と中学校があるので、敷地内は広く、運動場では、子どもたちがサッカーをしていました。

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校門の裏にある中田厚仁さんの人生が書かれた石板

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私が着いたころ、ちょうど下校時間だったようで、大勢の子どもたちが元気よく校門から出てきました。笑顔に溢れた生徒や、友達とじゃれ合いながら出てくる生徒、見知らぬ人がいるのでじっと指をくわえて私を見ている生徒…

約20年くらい前まで、こののどかな場所が非常に危険な地域であったことなど、信じられないくらいとても穏やかで温かい雰囲気に包まれていました。

中田厚仁さんが、命を懸けて残したメッセージは、このような風景を守り続け、受け継いでいくことではないかと思いました。

私は、ただのミーハーに過ぎませんが、この人に生き方に惹かれたこともあり、同じカンボジアの地で今の自分が挑戦してみたいこと、カンボジアという国から貰えるエネルギーを学ぶために、カンボジアでのインターンシップを強く希望していました。

同じカンボジアの地で、カンボジアの方と一生懸命仕事を全うし、会社に貢献したい!と…

「この世の中に誰かがやらなければならないことがあるとき、僕はその誰かになりたい」

中田厚仁さんが、生前繰り返し述べていた言葉だそうです。

私の座右の銘でもあります。

自分はまだまだちっぽけです。うまくできなかったり、失敗してばかりです。それでも、一生懸命目の前にある壁を一つずつ超えていきたいと思います。中田厚仁さんがそうしたように… どんな時もこの言葉を胸に秘めて、少しでも成長できるように頑張ります。

最後までお読みいただきありがとうございました。

【他の参考文献】

アツが教えてくれたもの ~ある日本人青年の生きざま~

独裁追認のカンボジア総選挙!それでも生き続けている中田厚仁の「平和と民主主義を諦めない」


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