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人形町の夕餉

フェイスブックって、いい感じにおせっかいで過去投稿を思い出させてくれるんじゃないですか。で、いつの頃からか過去ブログも思い出させてくれてます。今日は、こんなのを思い出させてくれたので、ついつい引用します。10年前です。働き方改革でこんな機会は壊滅的になり、コロナ禍でほぼ絶滅しています。私はこんな機会から学んだことが山ほどありますし、人形町という街に行くとちょっと背筋が伸びる感じもします。すべてはここから始まりました。まだ、フードデリバリーが出前と言われていて、お店の人が持ってきてくれていた時代の話です。そう、ボクサーが持ってきてくれたなあ。

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私の社会人の振り出しは、人形町でした。
営業マンとして社会に飛び込み、日夜激しく楽しく働いていました。

接待や何かイベントがない限りは、夕食は営業所でとっていました。残業食という仕組みがある会社で、夕食代に補助が出ました。コンビニがまだそこかしこにない時代ですから、残業食は店屋物です。人形町のあちこちのお店の美味しいものを毎晩楽しんでいました。

けして美味しくはない「まる賀」のカツ丼、
今はなき「キカク」(漢字忘れた)の美味なるカツ重、
「キラク」(今の「キラク」ではなく「そよいち」の方)のポークソテー、
「来福亭」の洋食各種、
「都亜」のサンドイッチ、
そうそう「玉ひで」の親子丼も出前可能でした。

残業食を頼むのは若手の仕事です。皆が三々五々営業先から戻り、事務作業に着手してしばらくたった頃に夕餉の時間になります。応接スペースを囲んで、その日あった営業先での話を交換する時間は、よくとらえればOJTの時間そのものでもありました。話がはずみ残業食が1時間を過ぎることも多くありました。全員が自動車で営業していましたので、いざとなったら営業車で帰宅するので終電を気にせずに仕事ができました。

残業食が終わったら、今日は疲れたから帰ろうとか、腹もいっぱいになったところで飲みに行こうとか、よくわからない行動もしていました。濃厚な職場でした。
《2011年8月23日》 あれっまだ火曜日?もの凄く濃厚にボリウミィな仕事をしているような気がします。へたへた。

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あの頃の店は、写真がありません。かろうじて「そよいち」。以前の「キラク」ですが本当に好きです。たまにはビーフカツ食べたいと思うのですが、席につくと必ずポークソテーを頼んでいる自分がいます。そしてマカロニサラダの付け合わせが最高。

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「天音」。よく内定者とランチに行きました。

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ああ「笹新」。

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そして「喜寿司」。この街に笹田が店を出して頑張っているんだ。

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