記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

『ドーパミン中毒』の感想と考えたこと

この本を読んだので、ざっと感想を書く。


本の概要・要約

まず、目次の大項目は下記の3つ。

  • 第Ⅰ部 快楽の追求

  • 第Ⅱ部 セルフバインディング

  • 第Ⅲ部 苦痛の追求

流れとしては

  • 第Ⅰ部

    • 快楽とは例えばこういうものがある

    • 依存症の仕組みはこんな感じ

    • ドーパミンによってこういうことが起きる

  • 第Ⅱ部

    • 依存症を直す方法

  • 第Ⅲ部

    • 快楽ではなく苦痛によって幸福を得る方法がある

という感じ。

感想

第Ⅰ部

まず、第Ⅰ部の第3章「快楽と苦痛のシーソー」という部分が個人的には面白かった。第1,2章の具体的な例についての話も面白くはあるが、やはり3章の仕組みについての話が好きだ。ちなみに第3章の内容はこんな感じ。

  • 脳内でドーパミンが処理されることで快楽が得られる

  • しかし、多くの場合快楽の後には苦痛が発生する

    • それをシーソーという例えで記述している

      • 大きな快楽を得ると大きな苦痛がその後来る

      • 快楽を得続けているとシーソーが快楽側に傾きにくくなる(慣れ)

        • よって、より多くのドーパミンを得ないと快楽が得られなくなる

        • かつ、苦痛側に傾きやすくなる

        • また、傾きやすくなったシーソーは完全には治らない、傾きやすくなったままになる

  • よって苦痛なしで快楽を得続けるということは出来ない

例えば一部引用する。

箱に入れられたラットの場合、チョコレートはラットの脳のドーパミンの基礎放出量を55%増加させる。セックスは100%、ニコチンは150%、コカインは225%である。街角でやりとりされる薬物「スピード」「アイス」「シャブ」の有効成分であり、注意欠陥障害の治療として用いられる「アデロール」の有効成分でもあるアンフェタミンは1000%ドーパミンの放出量を増加させる。

アンナ・レンブケ. ドーパミン中毒(新潮新書) (pp.57-58). 株式会社新潮社. Kindle 版.

色々な行動や物に対してドーパミンは発生していて、世の中で「悪いけど良いもの」みたいな位置づけをされているものが如何に人を惹きつけるのかは良く分かる数値だ。しかし、上で書いたようにこういう高ドーパミンを得られる何かは、急激に慣れて苦痛が大きくなっていく、身体を蝕んでいく、依存症になる、というデメリットがある。

この章を読んで思うのは「じゃあ、一生楽で楽しく生きていきたいという理想論は脳の仕組み上は不可能ってことじゃね?」ということだ。嫌なことはしたくない、好きな事だけ自分にとって楽な事だけして、楽しく幸せに生きていきたい!みたいなことは不可能な気がしてくる。脳の仕組み上。

その解決策の1つとして提示されるのが第Ⅲ部の”苦痛”に関する話になる。

第Ⅱ部

依存症からの脱却については興味はあるものの、必要な人が必要な時に読めば良い物な気がしており、今回の記事では感想はそれほど書く気はないが、2点だけ気になったことを書いておく。

1つは、個人的には「スマホ依存」からの脱却には参考になる情報が色々あったので、参考にさせてもらって色々試してみようと思っている。そういう普通に参考になる話ではある。

もう1つは、「一回依存症になった人は、多くの場合完全にそれ関連のものを禁止しないとダメなケースがある」という話だ。というか、依存症から脱する方法の1つに、そういう方法があるよ!って感じで紹介されている。

本の中で出てきた話では、性的な依存症になった人が、それ関連を全て禁止することでどうにか克服したみたいな話があった。具体的にはこんな記述。

彼はテレビ、映画、YouTube、バレーボール女子競技──とにかく彼に性的なイメージを与えるものならなんでも──を見るのをやめた。彼は、ある種の記事も読み飛ばすことにした。例えばドナルド・トランプと不倫関係にあったとされているストリッパー、ストーミー・ダニエルズの記事など。彼は、裸で寝ていたが朝鏡の前に立って髭を剃る前にパンツを穿くようにもした。自分の裸を見ること自体がきっかけとなってしまうかもしれないからだ。

アンナ・レンブケ. ドーパミン中毒(新潮新書) (pp.114-115). 株式会社新潮社. Kindle 版.

ジェイコブに関して言えば、自分と他人の裸体を隠すことが回復に重要な役割を果たした。禁止された性行為への危険性を最小化するために体を隠すというのは、現代に至るまで多くの文化で長い間採用されてきた伝統でもある。コーランは女性の節度についてこう言っている。「信仰する女性は視線を下にむけ、貞淑を守り、外に美を見せつけてはならない……胸にヴェイルを垂らし、美を見せつけてはならない」  末日聖徒イエス・キリスト教会(LDS教会)は会員に節度ある服装を求めて「ショートパンツや短いスカート、お腹を隠さないシャツ、肩を隠さない服や前や後ろが大きく開いた服」を推奨しないと公式声明を出している。

アンナ・レンブケ. ドーパミン中毒(新潮新書) (p.116). 株式会社新潮社. Kindle 版.

なんか凄い話だな、、と思わされる。重度だろうが軽度だろうがそういう人がいる。こういう話を知ると、肌の露出はなるべく避けた方が良い、みたいな話の妥当性はあるだろうね、、など考えさせられることは色々ある。

広告におけるビールに対しての規制の話なども以前聞いたことがあるのだが、アルコール依存症の人にとってビールの広告と言うのはとんでもないのだろうと改めて思う。そりゃ規制されるよね、と。

この世界の現実に、人間と言う生き物に、色々な気持ちになってしまうね。

第Ⅲ部

苦痛の話。「快楽の後には苦痛がある」「シーソーみたいな関係になっている」という話が第Ⅰ部にはあった。

「じゃあ逆に、苦痛を得ればその後に快楽が来るのでは?」みたいな話が第7章。過剰な苦痛は快楽と一緒で危険ですよ、って補足もある。

その中で紹介されているのは例えばこれら。

  • 冷水を浴びる、浸かる

  • 運動する

  • エクストリームスポーツ

    • スカイダイビング、バンジージャンプ、など

冷水を浴びたり浸かったりすることが依存症になる何かの代替になっているケースを読んで「そんなになのか!!凄い!」と思った。冷水についてはもうちょっと調べて実践してみたい。サウナもそういう原理なのかもしれない。冷水シャワーやサウナなどなど、そのあたりの効果や原理が非常に気になる。冷水シャワーと調べると抑うつってキーワードも見かけるのでやはり何らかの効果があるのだろうという気がする。気になる!

また、辛い物やホラー映画など、自分は苦手だし理解出来ていなかったのだけれど、苦痛としてその瞬間は嫌だけれど、その後に何らかの快楽が得られている、と思うと少し理解できた。「怖いゲーム実況を見て『怖いー!!』って言うのが楽しい人の気持ちが分からん」とずっと思っていたけれど、苦痛と快楽の関係を知ると少しだけ理屈は理解できる。


第8章では「嘘をつかず、正直に生きることで人は幸せに近づくよ」っていう一見ドーパミンと関係なさそうな話がある。だが、結論的には「何かを恐れて嘘を人間はすぐついてしまう。人はそういう生き物である。2歳から嘘をつき始める。だが、嘘をつかずに正直になることで人間関係は豊かになる。人間関係が豊かになることで得られるドーパミンがある。」みたいな話。(嘘をつかずに生きる苦痛を受け入れる、的な?)

そして、第9章では「自分の恥とどう向き合うかも、人間関係に影響が出る。自分の恥を隠すこと、または恥を見せた時に拒絶されることは人間関係から遠ざかる。恥を認めてくれる他者がいることで、そういう人間関係があることで人は救われる。SNSは恥を隠させるような世界にしてしまっており悪影響がある」みたいな話。(恥を受け入れる、見せることによる苦痛を受け入れる、的な?)

お互いに正直でいることは恥が生じるのを防ぎ、親密さが爆発するきっかけとなる。欠点があるにもかかわらず受け入れられた時、他人と深くつながっているという感覚から温かい感情が迸り出るものである。私たちが切望する親密さを作り出すのは、私たちの完璧さではなく、間違いを一緒に直していこうとする意志なのだ。  この種の親密さの爆発はほぼ間違いなく、脳の内部でドーパミンを放出させることになる。しかし安っぽい快楽によるドーパミンの迸りとは違って、親密さによる迸りは適応的で、私たちに瑞々しさと健康を与えてくれる。

アンナ・レンブケ. ドーパミン中毒(新潮新書) (p.229). 株式会社新潮社. Kindle 版.

この8,9章も非常に参考になる。俺も頑張らなきゃね、と思わされる情報だ。完璧さを自分にも他人にも俺は求めてしまうな~みたいなことを最近考えていた。そうじゃない人間関係を他者間に垣間見て憧れたり、自分もそういう関係を築けるように頑張ってみたいと丁度最近思っていたところだ。適した相手を探すことも大事だし、自分が正直に行動し、恥も弱さも正直に見せる、相手のそういう部分も認める、みたいなことをちょっとずつ意識していくぞ!と思える情報だった。

ちなみに、他人と話すのが苦手過ぎるという人の話も書かれていて、その苦痛も経験することで慣れるという話があった。苦手な何かは実践することで苦痛が慣れて大丈夫になるケースも割とあるという話。中々に元気づけられる情報である。

考えたこと

この後は部毎の感想に書ききれなかったことを少し書く。

現実からの逃避

まず、少し引用する。

苦痛からの逃避は、見てきたような極端な例だけではない。私たちはほんのわずかな不快に耐える能力すら失いつつある。皆がいつも「今ここ」から自分の気持ちを逸らしてくれるもの、楽しませてくれるものを探し求めている。  私の患者のソフィーはスタンフォード大学の韓国からの留学生で、うつと不安があり、助けを求めてやって来た。たくさんの話をしたのだが、その中で彼女は起きている間は大体、ある種のデバイスにつながれていると言った。インスタグラム、YouTube、ポッドキャストなどを開き、お気に入りの人たちを見て/聞いて過ごしている。

アンナ・レンブケ. ドーパミン中毒(新潮新書) (p.49). 株式会社新潮社. Kindle 版.

ここら辺の一通り全部引用したかったのだけれど、kindle がコピー制限がどうとか言ってくるので諦めた。自分が思った範囲でまとめると「苦痛や不快から目をそらして、ちょっとした刺激を探し求めて生活をすることで鬱や不安になるケースがある。その解決策は、現実から目をそらさず、不快や退屈と向き合うことだ」みたいな話。

スマホやインターネットはあらゆる刺激を用意している。不快や退屈から逃げるためにスマホやインターネットに依存する人は多く、俺もそれに近い状態かもしれない。早いうちに自分に向き合い、社会と向き合い、人間関係を構築する、みたいなことをした方が人生が良い方向に進みそうな気がしてくる。

理想と現実

上でも少し書いた気がするが「苦労はしたくない!ただ好きな事だけして楽しく生きていたい!」みたいなざっくりした理想がある。あった。が、そうはいかないか、、と脳とドーパミンの仕組みを知って思わされた。まあ、最近色々な本を読んだり話を聞いたりしていて薄々そうだろうとは思ってはいたのだが。

そして改めて「無理で無茶な理想と、目の前の現実を比べると辛いね」と思う。現実というのは否応なしに目の前に、日々存在している。それに対して無理難題な”理想”が自分の中にはあって比較してしまい辛くなるというのは、何というか、、しょうがないのだけれど勿体ないというか、理想を下げるっていうのはやはり現実的な解決策なんだろうなと思わされる。

「理想を下げるのかよ!妥協かよ!!」と俺は今まで何度も何度も思ってきた、考えてきた。色んな場面で。でも、無茶な理想は別だ。意味がないどころかマイナスの影響しかない。そういうことを考えさせられる。

ただ、夢はないと人はダメらしい。それは今回の本とは関係無い話だ。現実を把握してその中だけで生きることもそれはそれでどうやら辛いらしい。いい感じに夢を見て、それに向かって生きることも大事。良い理想は持ったまま、ダメな理想は現実に近づけていく、みたいなことをいい感じにバランスよく進めると良いのだろう。難しすぎか?w

未来の自分のために苦痛と向き合う

「快楽だけを求められない。また、快楽のあとに苦痛が来るように、苦痛のあとには快楽が来る。そのため、快楽のために苦痛を求めるという選択肢があるよ!」という話が第Ⅲ部であった。上の感想では、具体例についての感想だけを書いたが、その他にも色々考えた。

それは例えば、自分は今後何をしたいか、どうやって生きていくか、みたいな話だ。そういうことを考える時に「自分は何が好きなのか」から考えるケースと「自分は何が苦痛じゃないのか」を考えるケースがある。仕事を選ぶ時にも、好きなことを考えるのも良いが、自分が人より苦労しなくても出来ることを選ぶと良いという話を聞いたことがある。これは、もしかしたら「苦痛だけど苦痛じゃないもの」みたいな話かもしれない。脳にとっては苦痛だけれど、その後の快楽のために出来るなど。他人から見たら努力だけど、本人は努力と思わないもの、みたいな。

例えば、自分にとって多少苦痛だがどうにか続けられていることがある。例えば、note を書くこと。運動や勉強や仕事などもそれだ。そういう「苦痛」ってのが生きるには必要であり、それによって「快楽」が得られていると考えると、確かにそんな気もする。

そして、人によって何が苦痛で快楽かが違うように、耐えられる苦痛や、苦痛の先に快楽がある何かは違うのだ。それを、上手く選ぶことで今よりは良い現実を手に入れられるかもしれない。辛い物やホラーもある意味それで、人によっては無理だけど、人によっては楽しい何かになっている。それが趣味でも仕事でも何でも、あるのかもしれない。

そして「慣れ」を考慮すると、やはり人は歴が長い何かに対して、それが「苦痛」な何かであれば他人より慣れているお陰で続けられて、それが強みになるんじゃなかろうか。その慣れて強くなっている苦痛の先に快楽があるのではなかろうか。そんな気がしてくる。

また、その「慣れ」を考慮する時には”今”だけを考えると「過去の自分」に縛られてしまうことになるが、未来の自分を考えると今からでも何らかの苦痛と向き合って慣れることで「なりたい自分」に近づけるのかもしれない。「なりたい自分」という理想があって、その為には壁や苦痛が立ちはだかっているという場合は、早めにその苦痛に向き合い、経験し、慣れることが良い気がする。慣れられない何かであれば諦めるしかないから別の道も早めに選択できるはずだ。

ただ、ちゃんと考えるためには「苦痛」ってのが、本当に苦痛と思う何かじゃなきゃいけないのか、脳的にドーパミン的に「苦痛」ってものであれば良いのか、それはどういうことなのか、ってのはもうちょっとちゃんと理解しないと微妙に情報不足な気もしてきた。

おわり

はい、なげーわ感想wまあいいかwそれだけ面白かったし、色々考えたな~という本でしたね。

この本の感想は適当にちょこっと書いて、ドーパミン関連の直近読んだ本3冊全部のまとめ、みたいな記事を書こうと思ってたのに、この本だけでもまあまあな文量になっちゃったねw

あと、ドーパミン以外の人間の行動の理由みたいなのは知りたいな~なんて思ってたりするんですが、全部がドーパミン云々で説明ついちゃうのかね。そういうこともそのうち調べる。現実から目を背けるためにスマホ依存になるのも、ドーパミンで説明つく気はするけど、全部の行動そうなのかな?そうしたら、ドーパミンの種類とか強さみたいなことも知りたくなるね。行動原理が知りたいね。やらなきゃいけないことがある時に部屋掃除しちゃうのとか、ドーパミンで説明つくのかな?気になる。知って、それを上手くハックして幸せに近づきたいもんよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?