3人(糸井さん、細野さん、横尾さん)の話が興味深過ぎる

前にこんな記事を書いた。

その時の最後に書いたように、もう1個書きたいことがあったのにずっと書けてなかったので今日書く。

(別に日々暇なはずなのに、書いたり本を読んだりするのはやはりエネルギーがいるようで、中々進まないね。youtubeで動画ばっかり観ているね。まあそんな話は良いのだけれど)

書くのはこの話。

人が自然に話しているのが好き

最初は記事の話とは少しずれるけれど、こうやって人が話しているのを観たり聴いたりするのはやはり自分は好きだな~と改めて思う。インタビューみたいなのとかは退屈だけれど、こういう自然な感じ?まあ自然ではないんだろうけれど。こういう風に話を持っていける聞き手と話し手が噛み合う時にだけ出る空気感みたいな。そもそものその人達の空気感が好きかどうかって話もあるのだけれども。

このお三方について自分はあまり知らないまま生きてきてしまっているのだけれど、それでも凄い人だというのが何となく伝わってくるような、単純に肩書や情報だけでも凄い人だというのが分かるのだけれど、そういうのもすべて含めた上でのこの記事の感じは本当に面白い。

「飽きる」ということ

話の中で、細野さんがバンドを沢山やっては解散していた話があり、その流れで出てきている話。例えば下記の部分。

糸井
細野さんはあれもこれも好きで飽きっぽいし、
ぼくもメッチャクチャに飽きっぽいんです。
でもそのわりには、細野さんもぼくも
それぞれの世界にずっと、
逃げずに飽きずにいます。
横尾さんもそうです。いつも飽きてるのに。

細野
飽きてる。でも、絵は描いてる。

糸井
その世界にずっといながら、
「飽きる」ことを肯定的にとらえてるでしょう?

細野
そうね、飽きることをべつに
否定的にとらえる必要もないし。

第3回 細野さんは、音楽が好きすぎた。

この後の続きが話されている第4回も興味深い。

1個は、3人がどこかで共通している何かがこの話にはある。そして多分、多くの人にも共通していることで、人は飽きる。ある意味で当たり前のはずの話だが、「飽きる」という単語にはどこかネガティブな響きがある。勝手にマイナスに捉えてしまっている部分が少なくとも自分にはある。人はきっとほとんどのものをプラスかマイナスかで考えてしまう部分がある、気がする。人によるが。自分はそう。それが、きっとそもそも間違っているなと改めて思わされる。そして、それはそもそもしょうがないことだしどうしようもないことだと思わないといけない。「飽きるのは悪いことだから飽きない様に何かする」みたいな考えが多分ズレてるんだろうな、、とか記事を読んで思ったりする。

何かが飽きた時、きっと別の何かに興味を持ち始めているタイミングだったり、持ち始めやすいタイミングだったりするはずだ。それは多分下記の本に書いてあった暇と退屈の話にも少し通ずるところを感じる。

と思ったが、上の記事は詳細全然書いてないね。。w

退屈ってものは移り変わっていくものだみたいな話や、生きるってのは結局退屈の中でどう生きるかだ、みたいな話があったりした、気がする。

結局、人生の諸先輩方はそういうことを言ってるな~と思う。飽きるとか退屈とか暇とか、まあそういう色々あるけれども、そういう状態で何かに興味を持ったり持たなかったりしながら生きてくのさ、みたいな。

色んなものに興味が移り変わっていく自分を卑下してしまうことがあるけれど、それは意味ないし勿体ないことだなと今書きながら思った。

色々と考えさせられる楽しく興味深いもの

話されている全部のトピックにコメントしたくなってしまうのだが、そんなことをしているとまたいつもみたいに長文になって書き過ぎてしまうので我慢する。(今後別の記事で書くかもしれないが)

にしても、今日改めて読んだけれども、本当に全部のトピックが面白く、それぞれについて沢山書きたくなってしまう。それくらい興味深い。

多分、俺が好きなタイプはこういう人たちだし、こういう人たちみたいになりたいなと思っているわけで。「生きるとは」みたいな話だなと思う。最近本当に「どう生きるか」と日々思う。休日になるたびに。「今日どう生きるか。それが人生をどう生きるかと同義だ」と思いながら「結局youtubeを観て終わってしまった。これが人生か」みたいな。でもきっと本当に、そうやって人生は終わっていく。20歳になった、と思ったところから気付いたら今な気がする。当然色々あったけれど。

どうやって自分が生きたいように生きるか、その為のちょっとした目印みたいな目安みたいな、そういう何かに出会う度に嬉しくなる。救われた気がする。

どうでも良い話

この前書いた記事もそういう感じ。

今読んでいる本は、人が感じる快感は脳ではどういう仕組みで起きているか、それがどういうもので感じるか(薬物、食事、性的な何か、ギャンブル、その他)、そしてそれの中毒との関係は、みたいな。

そういう知識や話を少しずつ得ていって、ちょっとずつ自分がどう生きるかを考え直し捉えなおし、飽きながら退屈しながら、それでもまあどうにか生きやすいように、今日はどうしようって思えているのはまだ良い状態かな、と思えている。

そういう話誰かとしたいし、多分こういう話が出来ることも1つ自分にとっては楽しいことで、そういう話をしている今日書いた記事や別のトーク番組などを観ていると羨ましい気持ちになる。誰かのポッドキャストにゲストで出てみるとか、何かこういう話を出来る知り合いを作るとか、そういう場所?を探して行ってみるとか、何か出来たら楽しいだろうなと思う。

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