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樹木図鑑 その① ヤチダモ ~王貞治の戦友の華々しい経歴~

夏の円山原始林(北海道札幌市)を歩いていたときのこと。突然、緑色の小さなプロペラの大群が、くるくる回転しながら空から降りてきて、目の前に着地しました。プロペラの大きさは、指の第一関節ぐらい。ですから、よーく目を凝らさないと、プロペラの動きをはっきりと視認することはできません。

このプロペラはどこから来たんだろう。疑問に思って、森の天井を仰ぎ見ると、そこにはスッと幹を伸ばしたイケメンの大木が。
ああ、犯人はこいつか。
どうやらプロペラの出発点は、今回の主役「ヤチダモ」の枝だったようです。

北海道のイケメン樹種

ヤチダモは、北海道〜岐阜県にかけて分布する、トネリコ属の一種の落葉高木。

同じトネリコ属に、シオジ( Fraxinus spaethiana)というヤツがいますが、あいつは関東以西の太平洋側の山岳地帯に棲むのに対し、こちらは日本海側の多雪地帯や、もっと北の北海道を棲家としており、明確な棲み分けを行なっています。

ヤチダモのプロペラ型種子。(2022年8月14日、北海道芦別市)
円山原始林のヤチダモの大木。(2022年8月13日、北海道札幌市)

ヤチダモの一番のチャームポイントは、やはりスタイリッシュな単幹でしょう。脇目もふらず、無我夢中に天へと駆け伸びる幹…。こっちを振り向いてくれる素振りすら見せない。ただ寡黙に、森の天井を逞しく支え続ける。う〜ん、洒落てんなあ。痺れるぜ…。

ヤチダモの大木その②。円山公園にて。(2022年8月13日、北海道札幌市)

ヤチダモと同じく冷温帯に分布していて、クールなビジュアルをウリとする樹種というと、サワグルミが挙げられます。僕はサワグルミの大ファンで、東北に住んでいたころはヤツの美貌にぞっこんでした。

しかし、サワグルミの分布域は北海道南部まで。道央よりも北に行くと、イケメンの樹種と出会うチャンスは自ずと減ってしまいます。
そもそも、寒冷な北海道の森は、日本で一番樹種多様性が低い場所。周りの森を見渡しても、イケメンの気配が無い…。いらっしゃるのはトドマツやエゾマツ、ミズナラみたいな、なんか陰気くさい見た目の樹種ばかり(失礼なことを書いてしまいましたが、僕は彼らのことも大好きですよ)。北海道の森では、どうしても「イケメン樹種ロス」に陥ってしまうのです。

そんな中、僕の前に突如現れたのがヤチダモ。出会いに飢えた者の前に、そんなイカした樹姿で登場するのはさすがに反則だよ…。感激のあまり、君の根元から離れられなくなってしまうじゃないか。

陰気なミズナラ林の中で、凛としたオーラを放つヤチダモの大木は、イケメン樹種ファンにとっての「星」ともいえる存在なのです。

ヤチダモの根元には、プロペラ種子が無数に散乱していた。お節介かもしれないけれど、親木の根元にこんな大量の種子が溜まっちゃっても大丈夫なんだろうか。おぬしたち、もっと遠くに飛んで行った方がいいんじゃない?

守り神のベース

北海道の森と共に生きてきたアイヌ民族もまた、ヤチダモのスタイルの良さに注目していました。

釧路地方には、こんな言い伝えがあります。

「コタン(アイヌの部落)の守り神であるシマフクロウは、人間の家屋に悪魔が侵入しないよう、ヤチダモの梢から地上を見張っていた。ヤチダモはとても背が高いので、シマフクロウが人間世界を見守るための物見やぐらとして、地上に移植されたのだ。」

ヤチダモは、北海道に生育する樹種の中ではトップクラスの樹高を誇ります。森で一番見晴らしが良いのは、ヤチダモの梢なのです。

ヤチダモの葉。羽状複葉で、葉の質感は落葉広葉樹の割にはツルツルしている。

なるほど、上記の言い伝えを聞いてから改めてヤチダモを見ると、彼が非常に頼もしく思えてきます。守り神は、こんなに高い”やぐら”から、我々の村を見守ってくださっているのか…。なら安心やなあ。

気高い樹姿を披露するヤチダモは、アイヌの人々からも一目置かれていたのです。

青々とした葉を茂らせる、夏のヤチダモ。アイヌの言い伝えによると、ヤチダモの神は感情を持っていて、人間の言葉を容易に聞き取る能力があったという。

野球と共に

幹をまっすぐ伸ばす樹を見ると考えてしまうこと。
「これ、木材として使えるんかいな…」

もちろんですとも。ヤチダモをはじめとするトネリコ属メンバーは、優良材を産出する樹として木材業界では有名です。

円山公園内のヤチダモの大木。古木は、幹がぶっとくなり、スダジイのような貫禄ある樹姿に育つ。ヤチダモ材は木目が美しいため、内装材や家具材として用いられた。

ヤチダモ材の利用史を語るときに外せないのは、野球バットにまつわる話題でしょう。

トネリコ属樹種の材は、昔から木製野球バットの材料として、多くの野球選手から厚い信頼を寄せられていました。彼らは硬くて丈夫な材を生み出すので、時速150km近い速さのボールをきちんと受け止めることができます。また、強い”粘り”や”しなり”があるため、ボールとバットの接地時間を長くすることができる。このことは、的確なボールコントロールを行ううえでプラスに作用します。

トネリコ属樹種の中でも、特に質のいいバットを作り出すのが、アオダモ(Fraxinus lanuginosa)。イチローは2002年〜2015年までのメジャーリーグ時代、日本産アオダモのバットを使っていました。そのほかにも、松井秀樹、大谷翔平などなど、アオダモのバットを愛用していた選手を挙げ始めると、きりがありません。

アオダモはこんな感じの樹。近年は庭木として使われることも多い。
写真はマルバアオダモ(Fraxinus sieboldiana)

しかし、アオダモは非常に成長が遅い樹種で、材をとれる大きさに育つまで70年以上かかります。北海道の道東、日高山脈のあたりは、良質なアオダモ材がとれる土地として有名だったのですが、戦後の乱獲により材は完全に枯渇。今日、アオダモが分布する冷温帯林に入っても、アオダモの大木を見かけることはまずありません。

希少極まりないアオダモ材は、いつか利用できなくなる。このことを危惧した野球バット職人が注目したのが、ヤチダモ材。

ヤチダモの大木はまだ比較的多く残っているうえ、アオダモとヤチダモは互いに親戚どうし。材質が似ています。こうした特性を買われて、ヤチダモのバットは1950年代後半から、アオダモの「代打」として、大学野球のゲームに登場するようになりました。

しかし、材質が似ているとは言っても、やっぱり別の樹種。ヤチダモ材の耐久性は、アオダモ材と比較してかなり劣っていました。
この欠点を補うため、ヤチダモのバットの内部には樹脂が注入され、補強が施されたのです。こうして誕生したのが「圧縮バット」。

初の国民栄誉賞受賞者である王貞治氏や、サンデーモーニングの「喝‼︎」で有名な張本勲氏は、ヤチダモの圧縮バットで数々のヒットを飛ばし、日本中のプロ野球ファンを熱狂の渦に巻き込みました。

圧縮バットの考案者であるバット職人・石井順一氏は、北海道十勝地方でとれるヤチダモからバットをつくり、それを王選手に送っていました。王選手は、新しいバットが来たとき、感触の確認を行うことなく試合に臨んだそうです。それぐらい、石井氏の技術とヤチダモのバットに寄せる信頼が厚かったのです。

円山原始林内のヤチダモの大木。
岩場でがっしりとした根を張る姿からは、ミズナラのような貫禄が漂う。

名だたるスター選手たちと、プロ野球の黄金期を駆け抜けたヤチダモ。しかしデビューから約20年後、彼は突如として球場から姿を消すことになります……。前述の通り、圧縮バットには樹脂による加工が施されているため、従来の木製バットよりも格段に反発力が強い。つまり、圧縮バットはホームランを出しやすいのです。これはフェアじゃないだろ‼︎という批判が巻き起こり、すったもんだの後1981年シーズンから、圧縮バットの使用は日本野球機構コミッショナーによって禁止されました。

圧縮バットが禁止される前年、1980年は、王貞治がバットを置いた年。偶然なのか、それとも何らかの配慮が働いたのか、それはわかりませんが、ヤチダモと王貞治が同時に野球界を引退したことには、なんだかグッとくるものがあります。

防風林としては現役

日本野球機構から引退を命じられて以降、ヤチダモ材の”ベンチ入り”は40年以上続いています。野球界から退いたあとのヤチダモが、木材として表舞台に登場する機会は大幅に減ってしまいました。現在、ヤチダモの大木は、現役時代に一山当てた野球選手のように、北海道や東北の山奥で隠居生活を送っています。

では、ヤチダモと人間の交流は完全に絶たれたのか?というと、別にそういうわけでもない。一部のヤチダモは「防風林の構成樹種」として、いまでも北海道の平野部で現役として働き続けています。

北海道の国道を走っていると、時折こんな感じのヤチダモの大木を見かけることがある。
こういった大木は、防風林が残っていた時代の名残だとされる。
(2022年8月、北海道むかわ町)

「谷地(湿地)」に生えるタモ、という名前通り、ヤチダモはもともと湿地帯にこぞって進出するタイプの樹種。ヤナギやハンノキほどではありませんが、他の樹種と比較すると多湿環境に強いのです。

北海道の開拓時代、この性質が買われて、ヤチダモは防風林クリエイターに抜擢されました。

ヤチダモの防風林が特に多く見られるのが、道央の石狩平野。札幌から旭川に向かう高速道路を走っていると、広大な水田の隙間にヤチダモの森がもこもこと茂っている光景を見ることができます。

気候が厳しい石狩平野を開拓するには、夏の冷たい季節風を和らげる防風林が必要不可欠。しかし石狩平野はもともと泥炭地。樹の生育に向いているとは言えません…。
そんな中、防風林の作り手として白羽の矢が立ったのが、湿地が得意なヤチダモだったのです。

ヤチダモの防風林の内部。周りは全部ヤチダモ。北海道むかわ町「まちの森」にて。

生きて枝葉を伸ばしているとき、一番頼りにされている

アイヌの時代には、梢に守り神を常駐させる”やぐら”として、開拓時代以降は体を張って暴風を受け止める”スタント樹種”として、人々から頼りにされ続けてきたヤチダモ。なんだかんだで、彼は「生きた樹」として立っている時に、一番多くの人から頼られている気がします。

「守り神が宿っているんだ」という信仰を抱かせたり、「枝葉が風を防いでくれるんだ」という安堵をもたらしたり……。いつの時代でも、彼は枝葉を茂らせるだけで、人々に”安心感”を抱かせていたのです。

木材となり、野球選手と共にゲームに参加した、というのも、ヤチダモの重要な功績のひとつです。
でも、わざわざ木材に加工されて、華々しいゲームを作らなくたって、別に良い。ただ高く幹を伸ばし、枝葉を伸ばして土地を緑に染め上げるだけで、ヤチダモは人々の役に立っているのですから。

そばにいてくれたら、それでいい。ヤチダモは、そういうキャラの樹なのかなぁ。

<ヤチダモ 基本データ>

学名   Fraxinus mandshurica
モクセイ科トネリコ属
落葉広葉樹
分布  北海道、本州中部以北、シベリア、サハリン、中国北部、朝鮮半島
樹高  30m
漢字表記 谷地梻
別名  ー
英名  Ash(トネリコ属樹種の総称)


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