2021/02/19 この歳にもなって
みなさんこんにちは。ヒデです。
ピアノ始めました
最近、ピアノを始めました。もうすぐ始めて1週間になります。
ピアノって早いうちから始めないと無理ってよく言いますが、もうすぐ38歳になる年齢で始めたので、相対的にはかなり遅い部類でしょう。
作曲をはじめて、キーボードの練習を少しだけするようになって、鍵盤が小さすぎて(作曲用のキーボードはミニ鍵盤なのでかなり幅が小さいです)挫折しそうになっていたのですが、それならいっそのこと大きい鍵盤買ったらいいじゃんということで衝動買いしてしまいました。
僕は山崎まさよしさんの「One more time, One more chance」が大好きで、ギターでも弾いているのですが、ライブではそのピアノバージョンがあるんですよね。
一生のうちにこれだけは弾いておきたい1曲があったので、トライしてみることにしました。
遅すぎるとは?
何かを始めるのに遅すぎるということはない
今が一番若いんだ
とはよく言ったものですが、確かに何かを始めるのに(少なくともこの世を去るまでは)これ以降は始めちゃいけないルールとかはないんですよね。
でも何故か人は「今更始めても、、、」とか「何になりたいの?笑」みたいな感覚になるんですよね(大きなお世話だわ)。
ほんとなんでなんだろう?
自分は何を残したいのか?いや残すのが大事なのか?
人間は種を残すという本能以上に自分のことを魅力的に見せていきたい、という感覚を持っていて、それに逆に縛られているのかもしれない。
人生という「限られた時間の中」で「何を達成するか」という軸で行動すれば、自然と取捨選択が迫られるし、自分の得意や魅力をとことん伸ばしていくという原理が働く。
極端な話、ヒトとして僕がこの歳でピアノを始めることは全く合理的ではない(なんの経済活動にも生命活動にも何かを残したり役に立たない)ことになるから、「今更、、、?」も正しい感覚なのかもしれない。
それでも何かに挑戦する
僕は(意外とw)直感で物事を判断するケースが結構多いので、何かを始めることに全く合理的な理由がないことが多いのですけど、世の中は合理性だけではできていないように思うのです。
特に何かを「好き」と思う感情にはなかなか理由がつけられない。
雨の日が好きな理由も、楽器をたくさん引きたくなる理由も、好きな人の声を聞きたくなる理由も。
きっとそれぞれ理由があるんでしょうけど、脳がそれを合理的に判断することを拒んでいるかのように、抽象的な感覚が残る。
だから僕はあまり考えすぎずに好きだと思ったらやってみる、その理由がいつまでもわからなくても、好きで楽しければそれでいい、ということにしています。挑戦のハードルが低いのはきっとそれがあるからかな。
なんのゴールもないけど応援してもらえる・応援できるって嬉しいし楽しい。そんな会話を挑戦の中からたくさんの人とやりとりしたいなと思ってます。
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