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2021/03/23 小さな集落

閉鎖的な環境

最近インターネットではオンラインのコミュニティやサロンなど、「クローズド(閉鎖的)な環境」が増えてきた。

自然と人の興味の範囲に合わせて細分化していき、小さな集落の乱立のような状態になっていく。

コミュニティが村化することは社会通念上あまりよくなこととされてきた。村はより大きな街へ、街はより大きな都市になることで多様性と価値の循環を担保できるようになっているから。

でははたして「インターネットの世界」で集落の乱立は良くないことなのだろうか?

個人的な結論としては

「愛のない集落はいつか消える」
「愛のある家族はどこまでも続く」

何が違うのか?

おそらくそこには「他の人への期待値」がどれだけ含まれているかにかかっている。

「集落」であれば他の人に頼るという期待値を前提として集まることになる。あの人といれば自分もこうなるだろう、こんなものを手に入れられるかも、という「欲」が成長への鍵になる。新しい人が入れば入るほど、受け取れる価値は大きくなり、多様性も生まれていく。

問題点は大きくなり続けないと価値の総量と欲の総量のバランスが取れなくなり、いずれ衰退していってしまうということ。

僕は歴史が全然得意ではないので具体的な例を挙げられないが、滅んだ国のほとんどがそのジレンマにハマっているのではないかと思う。

欲が出てしまうコミュニティはいずれその道をたどってしまう。

「家族」であれば支え合いはあれど、お互いを「欲」のフィルターで見たりはしない。ただそこで自分を律するためにそばにいて欲しい人の近くに居続けようとする力学になる。

間違いなく平和になるし、もともと欲の総量が小さいため価値とのバランスで悩むこともない(極論ただそこにお互い存在しているだけでいい)。

ただ、大きくならないのだから有名になったり承認欲求が満たされるようなことは発生しづらい。また、距離が近すぎる故の摩擦も起こりやすい。

今求められているもの

今改めて「家族的コミュニティ」が求められているように思う。これまでのリアルな形での集落はどうしても自分の生活の自由や変化を犠牲にしたり、距離感の近さもあって敬遠されてきたところがある。

ただ、インターネットを経由することでお互いの距離ができて、そのバランスが変わってきているのかも。

人は本来変わりたくないし、頑張りたくないし、居心地が良いところにいたいものだと思う。だからこれまでの「リアル+社会性」から離れて「インターネット+家族的」に流れている。

インターネットがほぼみんなのものになってきた今、コロナという物理的な距離の制約も相まって「新しい社会性」が生まれようとしているのかも。

現代のコミュニティに持ち込むべきは既存の社会性じゃなくて家族的・宗教的な価値観なのかもしれないなぁと思ったり。これまでの社会的価値で生きてきた人には大変な変化だけど、僕みたいにちょっと社会性から距離ができていた人間としてはとっても生きやすい世の中になっている気がするのでした。

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