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場面緘黙症からの脱却

こんにちは、カピバラと申します。私は、小学生の頃場面緘黙症にひどく悩まされておりました。今回は、私はどのように場面緘黙症から回復していったのかをここで書き綴っていこうと思います。

ほとんど話せなかった小学生時代

私は幼稚園に通っていたころには、割と周りの子たちとも話せて、友達もまあまあいたのですが、小学生に入った途端に一言も話せなくなりました。
担任の先生にはかろうじて話しかけることはできたので、必要事項などを伝えることはできたのですが、同年代の子や、クラスメイトに自分から話しかけに行ったり、会話を続けることは6年間でほとんど成し遂げることができませんでした。そのため、友達もほぼ皆無に等しく、家だとしゃべれるのに、学校に行くとしゃべれなくなる自分が本当に嫌いでした。

大きく変わるきっかけを与えてくれた、中学生時代

中学生に入ると、少しずつですが、話せるようになってきました。小学校時代は、本当に同い年の子たちと話せなかったので、「ごめんね」や「ありがとう」という言葉も緊張して言えませんでした。それが原因で、いやがらせされたことも何回もありました。
しかし、中学生になると、割とすんなり「ごめんね」「ありがとう」などの基本的な受けごたえができるようになりました。
あんなに苦労していたのに、なんで中学に入った途端、すんなり少し話せるようになったのか、考えると、クラスの雰囲気がとても良かったからだと思います。ぎすぎすした雰囲気がなく、クラスメイト達が皆落ち着いていました。そのため、私自身も緊張してこわばることがなくなったので、少し話せるようになったのではないかと思われます。
中学2,3年生になると、中学1年生の頃よりかももう少し話せるようになり、今度は少し自分からクラスメイトに声をかけたり、会話を発展させることができるようになりました。
中学2年、3年のクラスは、とても居心地の良いクラスで、ここで久しぶりに私にも友達ができました。今までクラスでは私の存在は無き者でしたが、
ここでのクラスメイト達は私の存在をちゃんと受け入れてくれて、よく話しかけてくれました。担任の先生も、私が上手く話せないことをよく理解して下さっていました。その温かい環境があって、私は中学を卒業するころには、だいぶ話せるようになっていました。

最後にもう一皮むけた、大学1年生の6月の出来事

高校時代は、クラスの雰囲気も大体安定していたので、困ることもほとんどなく日々を過ごしていました。
しかし、私は「自分から話しかける姿勢を持つ」という最後のもう一皮がまだむけずにいました。
そんな私に転機が訪れたのは、大学一年生の6月です。
私が所属することにしたサークルで、新歓合宿が開催されることになりました。私は、誰か誘ってそのサークルに入ったわけではなく、一人ではいりました。それに、そのサークルはインカレサークルで、他大学の方が多くいました。そこは登山サークルで、私は登山をやれる!と思って興味を持って入ったのですが、やはりインカレサークル=怖い…みたいな気持ちがありました(笑)。なので、近くに座っていた方や、登山の班が一緒になった方などに積極的に話しかけていました。恐怖心により、一皮むけることができました(笑)。ここで、私は色んな人と話してみて、「話すことって思ったより怖くないのかもしれない、もしかしたら意外に楽しいかもしれない」と思うようになりました。そこから、私はそのサークル以外にまた別のサークルに入って活動したり、アルバイトを始めたりして、今でも話すことは全然苦手だし、緊張しますが、だいぶ場面緘黙症から脱却することができたと思います。

場面緘黙症を克服するにあたり、私にとっての一番大きな転機は中学2,3年生の時です。あの時私に話しかけてくれたクラスメイト達、理解を示してくれた担任の先生方には感謝しきれません。「話せない不安」はとても大きいですし、もしかしたらもともと人と話すことに不安があるから、話せなくなってしまうのかもしれません。その中で、「周りの雰囲気」というのはとても重要だと思います。
穏やかな雰囲気の中で生活していれば、少しずつこわばった気持ちもほどけていくのではないかと思います。
場面緘黙症という症状は、まだまだ認知度が低いです。多くの人に、場面緘黙症というものがあり、しゃべりたくてもしゃべれないことを理解して頂けるようになるといいのになと思います。

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